とて、暗い夜道を行くのが、さほど億劫でもなければ、怖ろしくもなく、それにどちらかといへば、他人《ひと》から無精者だの臆病者だのと思はれたくもなかつた。そこで悪口を叩くのをやめて、再び教父《クーム》の方へ向きなほつた。
「のう、教父《とつ》つあん、お月さまは無えてのう?」
「無えだよ。」
「奇態なことだよ、まつたく! 時に煙草を一服くんなよ! 教父《とつ》つあん、お前《めえ》の煙草はえらく上物だのう! どこで買ふだね?」
「なんの、上物なもんか!」と教父《クーム》は、飾り縫ひをした白樺皮の嗅煙草入の蓋をしながら、答へた。「ちいと年をくつた牝鶏なら、嚏みひとつするこつてねえだ!」
「おら今でも憶えてをるが、」と、同じ調子でチューブが話しつづけた。「あの、おつ死《ち》んだ酒場の亭主のズズーリャが一度、ニェージンの市《まち》から煙草を土産に持つて来て呉れたつけが、それあ素晴らしい煙草だつたわい! とてつもない上等の煙草だつたぜ! 時に、教父《とつ》つあん、どうするね? そとは真暗ぢやねえかい。」
「ぢやあ、いつそ家《うち》にをることにしようか。」と、扉の把手《とつて》を握りながら、教父《クーム》が答へた。
もし教父《クーム》がさう答へさへしなかつたら、てつきりチューブは出かけることを思ひとまつたのだが、かう言はれると、まるで何かに唆かされでもしたやうに、意地づくでも出かけようといふ気になつたものである。「うんにや、教父《とつ》つあん、行かうや! なあに、行《い》かいでか!」
かう言つてから、すぐに彼は自分で自分の言つたことを忌々しく思つた。こんな晩にそとへ出かけるのは酷くいやだつた。だが、自分がどこまでも我《が》を通して、他人《ひと》の助言に盾をついて押し切つたことがせめてもの心遣りだつた。
教父《クーム》は、家に坐つてゐようが、外へ出かけようが、それはどちらだつていつかう構はないといつた様子で、これつぱかしも厭な顔をせずに、あたりを見まはしながら相棒の杖で自分の両肩をこすつたものだ。――そこで二人の教父《クーム》同士はやをら往来へと出て行つた。
* * *
ところで今度は、一人きり家に残された小町娘が一体どうしてゐるか、それをひとつ覗いて見ることにしよう。オクサーナはまだ十七にはなつてゐなかつたが、ディカーニカの界隈
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