殺されてからの後の推理や観察は極めて丁寧に、綿密に、一々ご尤にやっては呉れるでしょうがね。生きている人間、つまり、殺されるかも知れない人間にとっては、甚だ心細いものにすぎませんのでねえ……』
『僕は何時だったか、坊城から、君があのアメリカ帰りの監督の狭山氏と何か女の事から面白くない争いをしたって話を聞きましたが――何か、そんな風な、他人からはげしい恨を抱かれる様な覚はありませんか。』
『はッはッはッ、狭山ですか。なる程あいつなら僕を殺し兼ねますまいよ。何しろすさまじい権幕でしたからねえ――事の因《おこ》りってのは、何ァに大した事じゃありません。大体あの狭山って男はひどい好色漢でしてね。撮影所に出入する目星い女優には誰彼の差別なく、働きかけ[#「働きかけ」に傍点]なきゃ――と仲間の連中は云いますがね。つまりもの[#「もの」に傍点]にしなけりゃ承知しない、と云った風で――まだ、彼の歓心を買っておかないと如何なにすぐれたいい女優でも決して出世が出来なかったのです。ところが、一人、弓子って云う所長のお声掛りで一番年も若いし一番美しい娘がいて、これがまた非常に見識が高くて、どうしても狭山の意に従わなかったのです。狭山は躍起となって持前の蛇の様にねちねちした性分で、愈々しつこく弓子にまとわりついて行ったものです。狭山のこの卑しいやり口を兼ねてから癪に障っていた僕は、ここで到頭堪え切れなくなって、あっさりと弓子を横取りしてしまいました――何も、決して僕自身、弓子に如何のって気はなかったのですがね――そしてあげくに、僕は或る日狭山を皆の前で散々っぱら遣っ付けてしまったのですよ……そうそう、その為に到頭い堪まらなくなって協会を脱退する時、彼は、「清水の野郎奴! 俺はあいつの首っ玉へ何時かは必ず匕首《どす》をお見舞申してやるぞ!」って凄い捨てぜりふを残して行ったそうです……』
『フム。では狭山氏の事は勿論警察に云ってあるでしょうね。』
『ええ。一応はそう云っておきましたが――併し、悲しい事には、西村さん。僕の命をねらっている奴はたしかに狭山ではないのですよ。そして、また、もし狭山であってくれたなら、僕は何もこれ程の騒ぎをせずともすみましたろう……』
『如何して曲者が狭山氏でないと云う事を君には断言が出来るのですか。もちろん何かしっかりしたお心あたりでもあって仰言るのでしょうね。』
『そこなのですよ。狭山と云う想像を根こそぎ打ち壊わしている一つの事実こそ、同時に、僕の命をほしがる敵が意外にも恐るべき奴であった事を証拠立てているのです。と云うのは、昨夜はじめてそれ[#「それ」に傍点]と思い合せたのですが、よくよく考えて見ると実は、「スペエドのジャック」の電話は、ズーッと以前、左様恰度七年前に確に一度聞いていたのでした。しかもそれは上海でです。七年前の上海――狭山と何の拘わりもあろう筈がなかろうじゃありませんか。』
『上海?――』
 西村は瞬間、かすかに顔色をうごかした。
『そうですよ。上海でです。僕の生涯中でおそらく一番いんさんな時代のことでした――お聞きください……』
 と、清水は、古い記憶をそろそろとほぐし出す人の寂しい、ぼんやりとした眼ざしをしながら語りはじめた。
『……その頃――長らくつづいた世界戦争がやっと終りを告げた年の春も末の頃でした。僕は、当時、ひと頃はずいぶんと人気を呼んだ暁星歌劇団のテノール歌手をやっていたのですが、戦争終局と共に、ばたばたとやって来た大不景気のために最も有力な金主を失ってしまった結果、おまけに肝心な客足はゲッソリと減るし、到頭一座はご多聞に洩れず、何れあじけない旅烏とならなければなりませんでした。そして方々と何れもあまり思わしくない興業を打って廻った末に、思い切って、海を越えて上海くんだりまで落ちてみる事になったのです……所が、上海でもまた、初手からお話にならないひどい不入りでして――もともと、殆ど西洋と云ってもいい位なこの都で怪しげなジャップたちが、怪しげなオペレットを、しかも日本語で演って人気を取ろうなんて、実際、今思えば虫のいい限りなのですが――客席は文字通り数ぞえる程の頭数で、とうとう、最初は四馬路の緑扇座《グリーンファンシアター》どころで開けていたのが、ひと月と経たない中に新世界のバラエテーに迄おち込んでしまって、そしてそのあげくが遂に、この知らぬ他国で解散と云う悲運に到達したのです。
 それでも、大ていの連中はさまざまなやりくり[#「やりくり」に傍点]をして、裸同様な身になりながらもどうやらみんな日本に帰って行った様でした――が、不仕合せな僕だけは、(――併し、勿論その当時は決して、そうは思ってもいませんでしたが)不仕合せにも、僕の泊り合せていた旅籠の、それは霞飛路《アヒロー》にあったのですが、その旅
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