では「お詑びする」]気でしょうね。」
井深君は、この少女の身元を証明するために本物の恋人の兄のところへ電話をかけよう、そしてあとで訳を云ってあやまればいいと思ったのである。井深君はこの思いつきに嬉しくなって水兵服の少女の方をみた。しかし、少女は井深君と顔を合せることを恐れでもしているように、部屋の隅っこの方へ体を向けて顔をふせていた。
――モシモシ、園田男爵ですか、園田君いますか、こちら井深です。ええ井深。……ああ園田君、今ね、赤坂見附で妹さんと――ああちえ子さんとお会いしたんだがね。これからすぐ送って帰るよ。さよなら、くわしい事はあとで話すよ、さよなら……」と井深君は相手の声が何を云おうとお構いなしに、大きな声でおっかぶせるようにそれだけしゃべってすぐ電話を切った。
果して、その電話のおかげで、主人や女給はひどく申訳のないような顔をしてひたあやまりに、井深君と水兵服の少女とにあやまるし、入口に立っていた野次馬もこそこそとそれぞれ散らばってしまった。
ところでさて、井深君はその水兵服の少女を連れて其処を出なければならなかった。中山帽をかぶってステッキをついた紳士と空色の水兵服を着た少女とは、やがて赤坂見附の方へ、うす暗い歩道を歩いて行った。月は今は真上から静かにさしかけていた。
――君、どうして、あんなところへ入ってご飯を食べなければならなかったの?」と二人っきりになると、そんな少女に対しても井深君は固くなって口をきいた。
――あたし、でも、おなかが空いたんですもの。虎の門の裏でお友達とテニスをしたのよ……」と甘えるような声で少女は答えた。何てしゃあしゃあしていることだろう――と井深君は思った。しかし、まあなんてその声までが、そっくり自分の恋人そのままであることよ――と感嘆した。そして、もしも、あのようなところで遇ったのではなくして、はじめから、恋人と二人で此処を散歩していたものとしたならば、(――何と云う幸福な仮想であろう!)自分は決してこの少女が、自分の恋人と別人かも知れないなぞと云う疑をさえ差し挾まなかったのだが……それにしても、なぜこんなにまでよく似た人間が二人もいるものであろう、恐しい事だ――
――君、家で食べればいいじゃないか。君の家どこ?」
――ご存じのくせに……」
――どうして? 僕知るもんか。」と井深君はドギマギとして云った。
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