手一つに収められてしまって見れば、全く検閲なぞの必要はないことになったのです……
『そこで、僕のマキアベリイ映画は勇ましく旗上げをしました。市場にどれ程売行きが悪くても僕はビクともしません。また、検閲も恐れません。僕たちは当局の忌諱に触れるような映画も憚りなく作って、そして会員ばかりでこっそりと見て娯しむことが出来ます。これは僕の私有財産として何時でも金庫の中に蔵って鍵をかけて置けばそれですむわけです。現在「αω《アルファ・オメガ》に就いて」と云うその種のフィルムが一本蔵ってありますが、お望みならば、何時でも内密でお眼にかけましょう。市場に売り出した第一回作品は「非金儲主義《アンコマーシャリズム》」と云う喜劇で、曾てはナポレオンの如く遍く世界中を風靡したことのあるチャーリー・チャップリン――そう云う喜劇役者を憶えておいででしょうな――に主演させました。云わば我々の会社の精神を宣伝するための映画のようなもので、それにこの老優のうらぶれた芸があまり今の見物にはピッタリしなかったと見えて大して受けなかったようです。第二回作品は十年前に君が僕に提供してくれた台本による風景映画「諸君の故郷」です。トーキー時代以前に人気のあった役者たちを世界中から格安な給料でかりあつめました。チャールス・ファーレル、ウイリアム・パウエル、ジャック・クーガン、ゲイリイ・クウパア、ドロレス・デルリオ、ルイス・ブルックス、フェイ・レイその他日本で云えば山内光とか竜田静枝とか云うようなトーキーに幸いされなかった連中のあつまりで、それぞれ彼等の故郷の風景映画でつくりました。これは、非常に静かな映画ですから或いは市場に於ても珍奇なものとして相当歓ばれるかも知れません。第三回は今撮影中ですが、ジャン・ジャック・ベルナアルの「旅の誘い」を僕が書きなおしたものです。ヴオジュの山麓と巴里の景色を悉くセットで作りました。役者はポール・ムウネ・ジュニアですが、この映画は全部フルシインとロングばかりで、アップはおろかバストも一切用いません。またフェイドとかオウヴァ・ラップとかそんな技巧は一切用いないのです。尤も、僕のところのカメラは甚だそうした高等技術には不適当なやつで、高密式の百写しと云う機械です。何故と云って、僕の考えでは最も効果的に活動写真の本質をしめすのは、なるべく上等でないカメラに限るようです。……おや、もうお帰りですか? まだ早いですのに……
本を暗誦して居ると色々役に立つのであります。
余等が其の頃相|談《かた》るのは、氷雪の様に白い肌膚が処女の様にナメラカな仙人の棲んでいる藐姑射山《はくこやさん》の風物とか、夜になると壺の中へ飛び込んでしまう老仙人の習性とか、歩き方を忘れて這って帰った男の話とか、魯の酒より楚の酒の方が美味い事とか、お天陽《てんと》様を睨んでも眩しがらなかった玉戎の話とか、盗※[#「さんずい+石」、324−13]が孔子を怒鳴る件とか、野蛮人が斧を川に落した話とか、辟陽がうらやましい話とか、つまりマルクス・ボーイのラッパズボンやエンゲルス・ガールの赤旗事件《メンストロレーション》などとは全く関係の無い事であった、のであります。
で、芥川龍之介の澄江堂とか、室生犀星の魚眠洞とかに対抗(?)して、余も何かスバラしいのを考えたのですが、どうも気の利いたのは全部昔の奴が使ってしまった後なので、今更もう発見し得ないのか、と散々考えて居た所、東京は京橋、中橋広小路、千疋屋の隣の自動車屋の向いにある骨董屋の屋号が何と「壺中居」というのであったのであります。前に書いた壺の仙人だ……畜生、早い事やりやがった! と口惜しがった、のであります。
さて、何の話であったか。
そうだ、「ニヒリストたる心得」忘れてやしない!
何でも知っているぞ。まあ教えて進ぜよう。
が、編集者から命令された紙数までにはあと[#「あと」に傍点]三行しかない。
三行で「ニヒリストたる心得」が書けるもんですか、ねえお嬢さん。全く、編集者は無茶を云って困る……
底本:「アンドロギュノスの裔」薔薇十字社
1970(昭和45)年9月1日初版発行
初出:「新青年」博文館
1929(昭和4)年1月
入力:森下祐行
校正:もりみつじゅんじ、土屋隆
2008年10月22日作成
青空文庫作成ファイル:
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