てはくれまいか。』『お望みとあらば、画いてもいい。但し、それには矢張り君自身がモデルになってくれなければいけない。』『それは困る!』画家は吃驚《びっくり》した。『君は僕の画いた絵を好まないとでも云うのか? あの絵はどうした? どうして、君は、その様な覆いをかけて置くのだ? 見せ給え。』
 ドリアンは恐しい叫びを上げて画家の前に立ち塞がった。『いけない! 断じて! 強いて見ようと云うならば僕達の間はもうこれ迄だ!』
『ドリアン!』
『黙り給え!』ドリアンは頑強に拒んだ。
 そして彼はその日の中に、その肖像画を階上の廃れた勉強部屋にこっそりと移してしまった。

 11[#「11」は縦中横]

 幾許かの歳月が流れた。併しドリアン・グレイの容色の煌《かがやか》しさはさらに衰えを見せなかった。そして倫敦中の社交界や倶楽部なぞに於て、彼の身の上に関する最も不名誉な怪しむべき噂を耳にした人々でも、一度彼を見てはその誹謗を信ずることをやめた。彼こそは常にこの世の如何なる汚れにも染まらずにいるように思われたからである。彼の姿は人々の心の中に曾ては自分たちも持っていたところの純情を思い出させた。ドリアンは屡々姿を晦《くら》ました。さまざまな憶測は概ねそんなことに生まれた。そして長い不在から帰って来ると、ドリアンは必ず秘密の部屋へ通ずる階段を上って行った。部屋の鍵は何時も肌身を離さなかった。ドリアンは其処で、ベエシル・ハルワアドの画いた己れの絵姿と向き合って、更に鏡の中に本当の自分の姿を映して見比べているのであった。まことに驚くべきその対照は彼の感覚を無上に楽しませた。彼は自分の美貌に見惚れれば、更に一層深く自分の魂の堕落に興味を覚えたわけである。彼は丹念にあらためながら、時にはひからびた額に刻まれた険悪な皺や、陰欝な口の辺に生々しく這う線に不気味な凄惨な悦びを味い、また時にはそれらに表われた罪悪の徴と歳月の痕と、果して何れがより恐しいかと訝しむこともあった。
 善美を尽した宴と、香わしい夜の部屋と、変装の冒険と、波止場の怪しげな旅籠の一室とにドリアン・グレイの不思議な生活は続いた。

 12[#「12」は縦中横]

 それは九月九日、ドリアンの第三十八回目の誕生日の夜の事であった。
 ドリアンはヘンリイ卿の晩餐に招かれてその帰りがけに、霧深い町角でゆくりなくもベエシル・ハルワアドと出
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