らせました。その時、若しこれがうまくゆけば、葛飾の愛を取り返せるかも知れない――また万一他殺と露見するようなことがあっても、疑われるのは結局葛飾だとも考えました。
『あの黒いリボンのネクタイのことは偽でございます。私が葛飾の胸からむしりとったのを、そんな風に仕組んだまでに過ぎません……』
 葛飾は無実と云うことになって放免された。

 8

 さて話はこれでおしまいであるが――
 作者はここで小野潤平の死が本当の自殺であった場合を考えてみ度い。
 小野は酔っぱらって帰って来ると門口で葛飾と出会ったのでめそめそと泣いて詫びた[#「詫びた」は底本では「詑びた」]。するとそれが却って葛飾の気を悪くして、殴り倒された。
 小野は画室に入ってからもだらしなく泣き続けていたに違いない。
 卑屈な禀性《うまれつき》や、すたれた才能や、いかさま生活や……いろんな自己嫌悪がむらがって来る。そこで覚束ない酔っぱらいの気持に唆かされて自殺しようかと思う。葛飾の箪笥の抽斗からピストルを出して来ると、悲劇役者のような恰好にそれを顳※[#「需+頁」、第3水準1−94−6]にあてがう。はっきりした自殺の意識なぞは要らなかったのだ。
 そして、その次にたあいもなく引金をひいてしまう。――恰度十一時で、教会堂の鐘の響のような時計の音が一入《ひとしお》効果を添えたことであろう。
 遺書は――認めている程の余裕があったならば、自殺しなかったかも知れないのである。
 翌朝、美代子が死体を発見して、投げ出されているピストルを見て、黒いリボンでもあれば尚更のこと、葛飾に殺されたものと思い込む。そして葛飾を庇うためにピストルを死人の手に握らせる。
 だが彼女は、意外にもその疑が自分の上にかかって来てのっぴきならなくなった時に、あくまでも葛飾を庇いきる程の勇気もなかった。
 しかも結局、二人の男の一生を自分故に台なしにしてしまった自責の念と果無さとに堪えかねて、せめてもの罪滅しにと、偽の遺書を遺して死んだのである。心の中では矢張り葛飾を有罪と信じながら――
 そして葛飾は美代子のその哀れな志も空に、彼女こそ真の犯人であると考えている。



底本:「アンドロギュノスの裔」薔薇十字社
   1970(昭和45)年9月1日初版発行
初出:「新青年」1929年5月
入力:森下祐行
校正:もりみつじゅんじ
2001年10月30日公開
2007年10月30日修正
青空文庫作成ファイル:
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