眼をおさまし。仕立屋が二人お揃の縞羅紗の散歩服を届けてくれたよ。今日はそれを着て遊園地にでも遊びに行こうではないか……』
 朝ならば、イワンの兄はそんな事を云って、寝坊なイワンを起こしてくれました。
 信心深いイワンは安息日の礼拝に出席するのを怠るようなことはなかったとしても、その他の日は、一日爐ばたに寝そべって独将棋をしたり、遊園地へ行って観覧車に乗ったり、さもなければ二階の窓から遠方の嶺に雪の積っている山を眺めたりして、気儘に暮すばかりでありました。
 父親が生きていた時は、父親は馬鹿な息子の身を案じて、そんな風なイワンを時々叱ることがあったけれども、イワンの兄は何時も何時も優しい笑顔を見せてくれました。
 イワンは兄の親切に満足して、少しの苦労もありませんでした。
 晩になって、晩御飯がすむとイワンは直ぐに眠くなりました。すると、イワンの兄はイワンに寝仕度をさせながら云いました。
『お休みよ、イワン。楽しい夢を見たらば、憶えていて、明日の朝兄さんにも聞かしておくれ。――』
 イワンの兄は、裸になったイワンの胸から三角に細い銀鎖を引っぱってその端にさがっている銀の鍵を見ると、さて決まったように、こう云うのでありました。
『イワンや、金貨一袋とこの鍵とを取り換えてはくれまいか。』
『金貨一袋だって?――でも、だめだよ。』とイワンは答えました。
『畑も半分上げよう。』
『だめだよ。』
『屋敷を半分上げてもいいのだよ。』
『だめ、だめ!……』イワンはひどく困ってしまうのでした。『お父さんが死ぬ時に誰にもこの鍵をやってはいけないと云ったんだもの。』
『本当にそうだっけ!……いいよ、いいよ、大切にしてしまってお置き。』
 だが、兄は毎晩々々必ず同じ言葉を繰り返してイワンを弱らせました。

 3

 イワンの兄は、イワンが寝てしまってから、イワンなぞの知らない悪い仲間と一緒に夜遊びに行って、夜明けになって帰って来ました。
 ある夜のこと、もうじき噎っぽい朝に近かったのですが、イワンの兄は、遊園地の裏の青い瓦斯灯の下に、夜通し夜露に濡れながら立っていた娘を見つけました。娘は、けばけばしい色の新しい靴下を穿いて、それを使い古したリボンで結いて留めていましたが、娘は孤《みな》し児で暮しに困ったため、その晩はじめてそんな処に立ったのでした。それだから、娘の姿は野菊の花のように哀れで
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