の如きままならぬためしがある。
だが、たとえば、アメリカの機械靴の左右を合わせるのに、ほんの寸法だけで左足の堆積《やま》と右足の堆積とから手当り次第に掴み取りして似合の一対とするように、人間が肢を八本もっていたアンドロギュノスの往古《むかし》に復《かえ》り度い本能からばかりならば、幾千万の男と幾千万の女との適偶性《プロバビリイティ》もまた幾千万と云わなければならない。思うに天のアフロバイテを讃える恋の勝負は造化主の意思の外にあるのであろう。神さまは、ただ十文半の黄皮の短靴の左足は十文半の黄皮の短靴の右足こそ応《ふさ》わしけれ、と思し召すだけに違いない。
男と女。男と女。――たった二種類しかない人間が、何故せつない恋に身を焦がしたりしなければならぬのであろうか?
*
Y君が片恋《かたおもい》をした。
相手は比の頃、ベルクナルにも劣るまいと評判の高い活動写真の悲劇女優である。
それに引きかえてY君は、第三十騎兵連隊勤務の一等安手の下士官の身分に過ぎないのだから、この恋に到底望みのなさそうなことを杞虞する程の己惚れさえも持ち合わせない。はじめは当り前のファンで、週末の休み
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