でしたが、只、人間も四十歳位になりますと、いくら気の方は慥であつても、筋肉、体力の方が承知を致しません。無理は出来ない、力は無くなつて居る。園の托鉢はなんと申しましても力を要する仕事が一番多いのでありますから、最初のうちは、ナニ[#「ナニ」に傍点]若い者に負けるものかと云ふ元気でやつて居つたものゝ、到底長続きがしないのです。ですから、一燈園には入るお方は、まづ、二十歳から三十二三歳迄位の青年がよろしいやうです。又実際に於て四十なんて云ふ人は園にはそんなに居りはしません。居つても続きません。私は入園した当時に、如何にも若い、中には十七八歳位な人の居るのに驚いたのです。こんな若い年をして、何処に人生に対し、又は宗教に対して疑念なんかを抱くことが出来るであらう?……而しまあ、以前申した年頃の人々には、よい修業場と思はれます。年輩者には駄目です。天香さんと云ふ人は慥にえらい人に違ひない。あの園が、二十年の歴史を持つて居ると云ふ点だけ考へてみても解ることです。そして、知能の尤もすぐれた人であります。茲に一つの※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]話を書いて置きませう。或日、天香さんと話して居たとき、なんの話からでしたか、アンタ[#「アンタ」に傍点]は俳句を作られるさうですな、と云ふ事なので、えゝ[#「えゝ」に傍点]さうです。どうです、一日に百句位作れますか? さすがの天香さんも、俳句については矢張り門外の人であつたのであります。園で俳句をやつて居る人々もあるやうでしたが、大抵、ホトトギス派のやうに見受けました。
いや、非常な大脱線で、且、大分ゴタ/\[#「ゴタ/\」に傍点]して来ましたから、此の入庵雑記もひとまづ此辺で打切らしていたゞかうと思ひます。筆を擱くにあたりまして、今更ながら井師の大慈悲心に想到して何とも申すべき言葉が御座いません。次に西光寺住職、杉本師に対しまして、之又御礼の言葉も無い次第であります。杉本師は、同人としては玄々子と称して居られますが、師は前一寸申上げた通り、相対座して御話して居ると、全く春風に頬を撫でられて居るやうな心持になるのであります。此の偉大な人格の所有主たる杉本師の庇護の下に、南郷庵に居らせていたゞいて居ると申しますことは、私としまして全く感謝せざるを得ない事であります。同人、井上一二氏に対する御礼の言葉は余りに親しき友人の間として、此際、遠慮さして置きます。扨、改めてお三方に深い感謝の意を表しまして、此稿を終らせていたゞきます。南無阿弥陀仏。
[#地から1字上げ](十四年、十一月五日)
底本:「尾崎放哉全集 増補改訂版」彌生書房
1972(昭和47)年6月10日初版発行
1980(昭和55)年6月10日増補改訂版発行
1988(昭和63)年10月20日増補改訂二版発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:門田裕志
校正:高柳典子
2006年1月2日作成
2007年10月9日修正
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