物見たいな生徒が、「そー、メチヤ/\に云ふ程でもない、酒を呑むつて、決して害計りは存在して居ないよ」と云つた。調子が、馬鹿に高かつたので、フイと耳を傾けると、「総て君、物には両面ありさ。楯の表裏も古い話しだが、行くと云ふ裏には帰ると云ふ奴が隠れてゐる。上ると云ふのは下ると云ふのを意味して居る。要するに、燗徳利主義と云ふのだ。とは、其れ燗徳利は銅壺の中に、這入つたり又出たり、出たり這入つたり、這入るのは即出るにある処、出るは即這入る処と云ふのさ。何しろ、善い処と悪い処とは必ずクツ付いて居る物だ。一がいに、冬を寒いと云つて炬燵に尻を焙つて居る快楽を無視するのはいかん。成程、酒はストーム、始めてか知らんが、昨夜、君等が見たと云ふ化物連の事を、ストームと云ふのだ。其のストームの玉子かも知れん。だが、ストームの快不快、利不利は別問題としてもだ、酒なる物が、所謂、大人君子連に、与へて居る利害の点に関して、ストーム以外に、猶大なる物があるであらうと思ふ。我輩は、酒その物が悪いと云ふ事を、しば/\聞かされたが、此のその物が悪いと云ふ事は、根本的に云ひ得ない事だと思ふ。これは丁度、太陽その物が好いとか、悪いとか云ふのと同じで、全く、ノンセンスの話さ。即、我輩が述べたいのは、酒と吾々大人君子の境遇と、此の相互間の接触上に出て来る利害だ。其利害を云ふに付て、一応、我輩の所説、勿論、酒以外の、に付て聞いてもらはんければならない。
抑、吾々人間は、嗜好性と云ふ物を有してゐる。嗜好性を有して居ない人間は決してない。其嗜好してゐる物の、性質が高尚だとか、卑しいとか、高いとか、低いとか、そんな事は別問題として、兎に角に、人間には嗜好、何等かの嗜好がある。否、此嗜好が無ければ、人間は生存して居る事が出来ない、と云つても過言では無いと思ふ。吾々が、朝から晩迄、嫌ひな物計りやらされて居つた日には、どうして生きて居たいと云ふ考は出て来ない。此の嗜好、自分が好きな事をやる、と云ふ点で以て、人間は生存して居るのだ。所謂、生きがひが有るのだ。此の嗜好は、人間の生命と云つてもよい。斯様な大切な物であるからして、もしかゝる嗜好が、他人からして奪はれる、取られてしまふ、もしくは、無くなると云ふ様な場合には、必ず、第二の、それに相応する、或は、それ以上の嗜好を求めんとして、働く、否遂に求めなければ止まないのだ。これは、事実を以て示さなくとも、解る筈だ。処で、吾々の今の状態はどうだ。成程、大人君子には相違ないけれ共、此の大人君子は、青年と云ふ大人君子だ。青年とは、他の言葉で以て云ふと、嗜好が非常に多い時代だ。何でも一寸気に向いた物は嗜好してしまふと云ふ時代なのだ。猫も来い、杓子も来い、と云ふ時だ。成程浅いかもしらぬが、広いさ。かう云ふ時代に当つて、所謂、大人君子なるものに、酒と云ふ嗜好を与へて見るとする。すると其結果はどうだらう。此所で一寸、酒の性質に付て云ふ可き必要がある。酒ぐらゐ微妙な物は無い。詩的な物はない。酒を呑むと云ふと、妙に気が大きくなる。六大洲は掌位にしか見えた物では無い。酒を呑んで中には泣く奴も有らう、怒る奴も有らうが、まづ大抵の者は、非常に愉快になつて来る、面白くなつて来る、無邪気になる。千鳥足になつて来る。こんな一種云ふ可からざるミステイカルな性質を以て居る物は他には有るまい。扨、斯う云ふ素敵な、面白い、愉快な酒なる者の趣味を、嗜好の馬鹿に多い、吾々大人君子に持つて来て与へるのだから、猫に鼠だ。忽に酒が好きになるのと云ふのは、無理もない話だ。其結果はどうだらう。勿論、学生の境遇だから、毎日はやれないが、一週間に一度位宛、金の有る時は、同好を誘つて、酒を呑みに行く。愉快になる、無邪気になる、豪傑気取になる、大きくなる、菓子が嫌ひになる、シルコが厭になる。凡そ、僕が知つてゐる酒党連中の経路は、以上の通りになつて行くのだ。此処で又考へて見るに、吾々の今の境遇で、酒の外に、猶、一層、強い嗜好力を有してゐる物が他に無いであらうか、と云ふと、それが大に有るのだ。しかも、大に危険なる物が有るので有る。処でだ、今此の酒党から、酒を呑むと云ふ嗜好を奪つてしまふと、其結果はどうで有らう。到底、其嗜好を取ると云ふ事は出来ないかも知れぬが、まづ出来るものとして見ると、其結果は、それ、酒以外に於て、それ以上に危険な嗜好を求めなければ遏まない、と云ふ事になるは必定だ。かく云ふと或は君等の内に、そんな浅薄な議論はやめにしろ、小供に菓子をやつて置くのは、決して最後の目的では無い。君の云ふ事は、甚卑劣な、弥縫《びほう》策に過ぎない。君は、酒の嗜好を奪へば、他の危険なる嗜好に走ると云ふけれ共、元来、酒を呑まぬ者はどうする。況んや、酒が、吾々の身体、脳力、理性、品格等に及ぼす大害に至つては、到底、
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