線をゑがいて
みどりのふえをならし、
をんなはまるい線をひいて
とりのはねをとばせる。
をんなはまるい線をふるはせて
あまいにがさをふりこぼす。
をんなは鳥だ、
をんなはまるい鳥だ。
だまつてゐながらも、
しじゆうなきごゑをにほはせる。


  白い狼

白い狼が
わたしの背中でほえてゐる。
白い狼が
わたしの胸で、わたしの腹で、
うをう うをうとほえてゐる。
こえふとつた白い狼が
わたしの腕で、わたしの股《もも》で、
ぼう ぼうとほえてゐる。
犬のやうにふとつた白い狼が
真赤な口をあいて、
なやましくほえさけびながら、
わたしのからだぢゆうをうろうろとあるいてゐる。


  盲目の鴉

うすももいろの瑪瑙の香炉から
あやしくみなぎるけむりはたちのぼり、
かすかに迷ふ茶色の蛾は
そこに白い腹をみせてたふれ死ぬ。
秋はかうしてわたしたちの胸のなかへ
おともないとむらひのやうにやつてきた。
しろくわらふ秋のつめたいくもり日《び》に、
めくら鴉《がらす》は枝から枝へ啼いてあるいていつた。
裂かれたやうな眼がしらの鴉よ、
あぢさゐの花のやうにさまざまの雲をうつす鴉の眼よ、
くびられたやうに啼きだすお前のこゑは秋の木《こ》の葉をさへちぢれさせる。
お前のこゑのなかからは、
まつかなけしの花がとびだしてくる。
うすにごる青磁の皿のうへにもられた兎の肉をきれぎれに噛む心地にて、
お前のこゑはまぼろしの地面に生える雑草である。
羽根をひろげ、爪をかき、くちばしをさぐつて、
枝から枝へあるいてゆくめくら鴉は、
げえを[#「げえを」に傍点] げえを[#「げえを」に傍点] とおほごゑにしぼりないてゐる。
無限につながる闇の宮殿のなかに、
あをじろくほとばしるいなづまのやうに
めくら鴉のなきごゑは げえを[#「げえを」に傍点] げえを[#「げえを」に傍点] げえを[#「げえを」に傍点]とひびいてくる。


  蜘蛛のをどり

あらあらしく野のをかに歩みをはこぶ
ゆふぐれのさびれたたましひのおともないはばたき、
うすぐらいともしびのゆらめくたのしさにも似て、
さそはれる微笑の釣針のうつくしさ。
うちつける壁も扉も窓もなく、
むなしくあを空のふかみの底に身をなげ、
世紀のあをあをとながれるうれひ顔のうへに、
こともなげに、ひそかにも、
うつりゆく香料のたいまつをもやしつづけた。
いつぴきの黄色い大蜘蛛は
手品のやうにするすると糸をたれて、
そのふしぎな心の運命《さだめ》を織る。
ああ、
ゆふぐれの野のはてにひとりつぶやく太陽の
かなしくゆがんだわらひ顔、
黄色い蜘蛛はた[#「た」に傍点]・た[#「た」に傍点]・た[#「た」に傍点]と織りつづける。
女のやうにべつたりとしたおほきな蜘蛛は、
くたびれるのもしらないで、
足も 手も ぐるぐるする眼も
葉ずれの蘆のやうに、するどくするどくうごいてゐる。


  指頭の妖怪

あをじろむ指のさきから、
小鳥がまひたつてゆく。
ぎらぎらにくもる地面の床《とこ》のうへに、
片足でおとろへはてながら、
うづまきながらのしかかつてくる。
まつくろな蛇の腹のやうな太鼓のおとが
ぼろんぼろんとなげくのだ。
わたしのあをじろむ指のさきからにげてゆく月夜の雨、
毛ばだつた秋の果物《くだもの》のやうな
ふといぬめぬめ[#「ぬめぬめ」に傍点]とした頸《くび》をねぢらせ、
なまめく頸をねぢらせ、
秋のこゑをつぶやき、
秋のつめたさをおさへつける。
ぼろんぼろんとやぶれた魂の糸をかきならし、
熱く、ものうく、身をかきむしつて、
さびしい秋のつめたさをおさへつける。
まがりくねつた この秋のさびしさを、
あやしくふりむけるお前のなまなましい頸のうめきに、
たよりなくもとほざけるのだ。
しろくひかる粘液をひいて、
うねりをうつお前の頸に
なげつけられた言葉の世にも稀なにほひ。
ぼろんぼろんと
わたしの遠耳にきこえてくるあやしい太鼓のおと。


  わかれることの寂しさ

あの人はわたしたちとわかれてゆきました。
わたしはあの人を別に好いても嫌つてもゐませんでした。
それだのに、
あの人がわたしたちからはなれてゆくのをみると、
あの人がなじみのやせた顔をもつて去つてゆくのをおもふと、
わけもないものさびしさが
あはくわたしの胸のそこにながれてゆきます。
人の世の 生きてわかれてゆくながれのさびしさ。
あの人のほのじろい顔も、
なじみの調度《てうど》のなかにもう見えなくなるのかと思ふと、
さだめなくあひ、さだめなくはなれ、
わづかのことばのうちにゆふぐれのささやきをにごした
そのふしぎの時間は、
とほくきえてゆくわたしの足あとを、
鳥のはねのやうにはたはた[#「はたはた」に傍点]と羽ばたきをさせるのです。


  わらひのひらめき

あのしめやかなうれひにとざされた顔のなかから、
をりふしにこぼれでる
あはあはしいわらひのひらめき。
しろくうるほひのあるひらめき、
それは誰にこたへたわらひでせう。
きぬずれのおとのやうなひらめき、
それはだれをむかへるわらひでせう。
うれひにとざされた顔のなかに咲きいでる
みづいろのともしびの花、
ふしめしたをとめよ、
あなたの肌のそよかぜは誰へふいてゆくのでせう。


  夏の夜の薔薇

手に笑とささやきとの吹雪する夏の夜《よる》、
黒髪のみだれ心地の眼がよろよろとして、
うつさうとしげる森の身ごもりのやうにたふれる。
あたらしいされかうべのうへに、
ほそぼそとむらがりかかるむらさきのばらの花びら、
夏の夜の銀色の淫縦《いんじゆう》をつらぬいて、
よろめきながれる薔薇の怪物。
みたまへ、
雪のやうにしろい腕こそは女王のばら、
まるく息づく胴《トルス》は黒い大輪のばら、
ふつくりとして指のたにまに媚をかくす足は欝金《うこん》のばら、
ゆきずりに秘密をふきだすやはらかい肩は真赤《まつか》なばら、
帯のしたにむつくりともりあがる腹はあをい臨終のばら、
こつそりとひそかに匂ふすべすべしたつぼみのばら、
ひびきをうちだすただれた老女のばら、
舌と舌とをつなぎあはせる絹のばらの花。
あたらしいふらふらするされかうべのうへに
むらむらとおそひかかるねずみいろの病気のばら、
香料の吐息をもらすばらの肉体よ、
芳香の淵にざわざわとおよぐばらの肉体よ、
いそげよ、いそげよ、
沈黙にいきづまる歓楽の祈祷にいそげよ。


  木製の人魚

こゑはとほくをまねき、
しづかにべにの鳩をうなづかせ、
よれよれてのぼる火繩《ひなは》の秋をうつろにする。

こゑはさびしくぬけて、
うつろを見はり、
ながれる身のうへににほひをうつす。

くちびるはあをくもえて、
うみのまくらにねむり、
むらがりしづむ藻草《もぐさ》のかげに眼をよせる。


  洋装した十六の娘

そのやはらかなまるい肩は、
まだあをい水蜜桃のやうに媚《こび》の芽をふかないけれど、
すこしあせばんだうぶ毛がしろい肌にぴちやつ[#「ぴちやつ」に傍点]とくつついてゐるやうすは、
なんだか、かんで食べたいやうな不思議なあまい食欲をそそる。


  十四のをとめ

そのすがたからは空色のみづがながれ、
きよらかな、ものを吸ふやうな眼、
けだかい鼻、
つゆをやどしてゐるやうなときいろの頬、
あまい唾をためてゐるちひさい唇。
黄金《きん》のランプのやうに、
あなたのひかりはやはらかにもえてゐる。


  椅子に眠る憂欝

はればれとその深い影をもつた横顔を
花鉢《はなばち》のやうにしづかにとどめ、
揺椅子《ゆりいす》のなかにうづくまる移り気をそそのかして、
死のすがたをおぼろにする。
みどりいろの、ゆふべの揺椅子のなやましさに、
みじかい生《せい》の花粉のさかづきをのみほすのか。
ああ、わたしのほとりに匍《は》ひよるみどりの椅子のささやきの小唄、
憂欝はながれる魚《うを》のかなしみにも似て、ゆれながら、ゆれながら、
かなしみのさざなみをくりかへす。


  まぼろしの薔薇

はるはきたけれど、
わたしはさびしい。
ひとつのかげのうへにまたおもいかげがかさなり、
わたしのまぼろしのばらをさへぎる。
ふえのやうなほそい声でうたをうたふばらよ、
うつくしい悩みのたねをまくみどりのおびのしろばらよ、
うすぐもりした春のこみちに、
ばらよ、ばらよ、まぼろしのしろばらよ、
わたしはむなしくおまへのかげをもとめては、
こころもなくさまよひあるくのです。

   *

かすかな白鳥《はくてう》のはねのやうに
まよなかにさきつづく白ばらの花、
わたしのあはせた手のなかに咲きいでるまぼろしの花、
さきつづくにほひの白ばらよ、
こころをこめたいのりのなかに咲きいでるほのかなばらよ、
ああ、なやみのなかにさきつづく
にほひのばらよ、にほひのばらよ、
おまへのながいまつげが
わたしをさしまねく。

   *

まつしろいほのほのなかに、
おまへはうつくしい眼をとぢてわたしをさそふ。
ゆふぐれのこみちにうかみでるしろばらよ、
うすやみにうかみでるみどりのおびのしろばらよ、
おまへはにほやかな眼をとぢて、
わたしのさびしいむねに花をひらく。

   *

なやましくふりつもるこころのおくの薔薇《ばら》の花よ、
わたしはかくすけれども、
よるのふけるにつれてまざまざとうかみでるかなしいしろばらの花よ、
さまざまのおもひをこめたおまへの秘密のかほが、
みづのなかの月のやうに
はてしのないながれのなかにうかんでくる。

   *

ひとひら、またひとひら、ふくらみかけるつぼみのばらのはな、
そのままに、ゆふべのこゑをにほはせるばらのかなしみ、
ただ、まぼろしのなかへながれてゆくわたしのしろばらの花よ、
おまへのまつしろいほほに、
わたしはさびしいこほろぎのなくのをききます。

   *

ゆふぐれのかげのなかをあるいてゆくしめやかなこひびとよ、
こゑのないことばをわたしのむねにのこしていつた白薔薇の花よ、
うすあをいまぼろしのぬれてゐるなかに
ふたりのくちびるがふれあふたふとさ。
ひごとにあたらしくうまれでるあの日のばらのはな、
つめたいけれど、
ひとすぢのゆくへをたづねるこころは、
おもひでの籠《かご》をさげてゆきます。


  薔薇のもののけ

あさとなく ひるとなく よるとなく
わたしのまはりにうごいてゐる薔薇のもののけ、
おまへはみどりのおびをしゆうしゆう[#「しゆうしゆう」に傍点]とならしてわたしの心をしばり、
うつりゆくわたしのからだに、
たえまない火のあめをふらすのです。


  手をのばす薔薇

ばらよ おまへはわたしのあたまのなかで鴉のやうにゆれてゐる。
ふしぎなあまいこゑをたててのどをからす野鳩のやうに
おまへはわたしの思ひのなかでたはむれてゐる。
はねをなくした駒鳥のやうに
おまへは影《かげ》をよみながらあるいてゐる。

このやうにさびしく ゆふぐれとよるとのくるたびに
わたしの白薔薇の花はいきいきとおとづれてくるのです。
みどりのおびをしめて まぼろしによみがへつてくる白薔薇の花、
おまへのすがたは生きた宝石の蛇、
かつ かつ かつととほいひづめのおとをつたへるおまへのゆめ、
薔薇はまよなかの手をわたしへのばさうとして、
ぽたりぽたりちつていつた。


  薔薇の誘惑

ただひとつのにほひとなつて
わたり鳥のやうにうまれてくる影のばらの花、
糸をつないで墓上《ぼじやう》の霧をひきよせる影のばらの花、
むねせまく ふしぎなふるい甕《かめ》のすがたをのこしてゆくばらのはな、
ものをいはないばらのはな、
ああ
まぼろしに人間のたましひをたべて生きてゆくばらのはな、
おまへのねばる手は雑草の笛にかくれて
あたらしいみちにくづれてゆきます。
ばらよ ばらよ
あやしい白薔薇のかぎりないこひしさよ。


  悲しみの枝に咲く夢

こひびとよ、こひびとよ、
あなたの呼吸《いき》は
わたしの耳に青玉《サフイイル》の耳かざりをつけました。
わたしは耳がかゆくなりました。

こひびとよ、こひびとよ、
あなた
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