愛せざりしか。君が唇のベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]の額《ぬか》に觸れしをば、われ猶記す。君|爭《いか》でかベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]を愛せざらん。思ふにかの無情《つれな》男子《をのこ》は君が色を愛して、君が心を愛せざりしなり。
アヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]は再び場に上りぬ。老いたるかな、衰へたるかな、只だ是れ屍《しかばね》の脂粉を傅《つ》けて行くものゝみ。われは覺えず肌《はだへ》に粟《あは》生ぜり、われもアヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]が色に迷ひし一人なれども、その才《ざえ》の高く情の優しかりしをば、わが戀愛に蔽《おほ》はれたりし心すら、猶能く認め得たりき。縱令《よしや》色は衰ふとも、才情はむかしのまゝなるべし。かへす/″\も惡《にく》むべきはベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]が忍びて彼|才《ざえ》彼情を棄てつるなる哉。我心緒は此不幸なる女子を憐み、彼無情なる友を憎むが爲めに、亂るゝこと麻の如くなりき。傍なる紳士は、我面色の土の如くなるを見て、いかにし給ひしぞ、不快なるにはあらずやと問ひぬ。此|棧敷《さじき》の餘りに暑き故なるべしと答へつゝ、我は起ちて劇場の外《と》に走り出でぬ。
胸中の苦悶は我を驅《か》りて、狹きヱネチア[#「ヱネチア」に二重傍線]の巷《こうぢ》を、縱横に走り過ぎしめしに、ふと立ち留りて頭を擡《もた》ぐれば、われは又|前《さき》の劇場の前に在り。時に一人の老僕ありて、入口に貼りたるけふの名題を剥ぎ取り、代ふるにあすのをもてせんとす。われは進みて此|僕《しもべ》の耳に附き、アヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]の宿はいづくぞと問ひしに、僕は首《かうべ》を※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]して我顏を打目《うちま》もり、アヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]と宣給《のたま》ふか、そはアウレリア[#「アウレリア」に傍線]の誤なるべし、けふもアウレリア[#「アウレリア」に傍線]が部屋をばおとづれ給ひし檀那達いと多かりき、宿に案内しまゐらするは易けれど、歸るには些の隙《ひま》あるべしと答ふ。われ、否、アヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]なり、けふ女王の役を勤めし人なりといふに、僕は暫し目を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》りて、訝《いぶか》しげに我を見居たるが、さてはあの痩骨《やせぎす》を尋ね給ふか、檀那は別に御用ありての事なるべければ、案内《あない》しまゐらせん、されどこれも歸らんは一時間の後なるべし、そが上に人に問はるゝことなき女なれば、出でゝ御目に掛かるべきか、覺束《おぼつか》なしとつぶやきぬ。好し、さらば一時間の後の事にすべければ、こゝにて我が來んを待てと契《ちぎ》り置きて、我は岸邊に往き、舟を雇ひて、何處をあてともなく漕ぎ行かせつ。
我心緒はいよゝ亂れに亂れぬ。只だ心中に往來《ゆきき》する切《せち》なる願は、今一たびアヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]と相見て、今一たびこれに詞をかはさんといふことのみ。嗚呼、アヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]はまことに不幸なりき。されど我はその不幸を救ひ得べき地位にあらざりしを奈何せん。指す方もなき水上の逍遙ながら、痛苦に逐《お》はるゝ我心は、猶船脚の太《はなは》だ遲きを覺えぬ。
一時間の後、舟を初の岸に繋《つな》げば、老僕は早く劇場の前に立ちて待てり。引かるゝまゝに、いぶせき巷《こうぢ》を縫ひ行きて、遂にとある敗屋《あばらや》の前に出でしとき、僕は星根裏の小き窓に燈《ともしび》の影の微かなるを指ざしたり。僕は先に立ちて暗き梯《はしご》を登りゆくに、我は詞もあらでその後に隨ひぬ。僕は戸外の鈴索《れいさく》を牽《ひ》いたり。内より誰《た》ぞやといふは女の聲なり。マルコオ、ルガノ[#「マルコオ、ルガノ」に傍線]と名告《なの》ると共に、戸はあきて、我等は暗黒なる一室の中に立てり。聖母《マドンナ》を畫けりと覺しき小幅の前に捧げし燈明は既に滅《き》えて、燈心の猶|燻《くゆ》るさま、一點の血痕の如し。忽ち頭の上に戸の軋《きし》る音して、覺束なき火の光洩れ來しとき、我は側に小き梯《はしご》あるを認めつ。御尋《おたづね》の女はあれにといふ老僕の手に、些の銀貨を握らすれば、あまたゝびぬかづき謝して、直ちに戸外に出で去りぬ。わが最後の梯を登りゆくとき、一人の女の小き絹の片《きれ》にて髮を裹《つゝ》み、闊《ひろ》き暗色の上衣を着たるが入口に現れて、あすの名題や變りし、蹶《つまづ》き給ふな、マルコオ[#「マルコオ」に傍線]と云ひつゝ迎へぬ。我はつと室内《へやぬち》に進みぬ。
我はアヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]と相對して立てり。あな、おん身は何人ぞ、何の爲に此には來ましゝと、驚きたる女主人は問ひぬ。我は一聲アヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]と叫べり。暫し我面を打まもりし主人は、再びあなやといひもあへず、もろ手もて顏を掩《おほ》ひつ。何人にもあらず、昔の友の一人なり、むかしおん身の惠にて、あまたの樂しき時を過し、あまたの幸福ある日を送りしものなり、何の爲めにか來べき、唯だ今一たび相見んの願ありて來つるのみといふ我聲は恥かしき迄震ひぬ。アヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]は靜に手を垂れて頭を擧げたり。肉落ちて血色なく、死人の如き面なれど、これのみは年も病もえ奪はざりけん、暗黒にして、渡津海《わたつみ》のそこひなきにも譬へつべき瞳は、磁石の鐵を吸ふ如く、我面に注がれたり。アントニオ[#「アントニオ」に傍線]、かくて御身と相見んとは、つや/\思ひ掛けざりき。同じ憂き世の山路なれど、おん身はそを登る人、われはそを降る身なれば、相見て又何をかいふべき。疾《と》く行き給へと口には言へど、つれなき涙は※[#「目+匡」、第3水準1−88−81]《まぶた》に餘りて、頬《ほ》の上に墮《お》ち來りぬ。われ。そは餘りに情なし。われはおん身の今不幸なるを知りぬ。むかし一言《こと》の白《せりふ》、一目の介《おもいれ》もて、萬人に幸福を與へしおん身なるを。アヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]。幸福は妙齡と美貌とに伴ふものにて、才《ざえ》と情との如きは、その顧みるところにあらざるを奈何せん。われ。おん身は病に臥し給ひきとは實《まこと》か。アヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]。病はいと重く、一とせの久しきにわたりしかど、死せしは我容色と我音聲とのみなりき。公衆は此二つの屍を併《あは》せ藏せる我身を棄てたり。醫師《くすし》はこの死を假死なりとなし、我身は果敢《はか》なくもこれを信じたりき。我身は舊に依りて衣食を要するに、平生の蓄《たくはへ》をば病の爲めに用ゐ盡しぬれば、彼死を祕して、詐《いつは》りて猶ほ生きたるものゝ如くし、又脂粉を塗りて場に上ることゝなりぬ。されど流石《さすが》に人を驚《おどろか》さんことの心苦しくて、わざと燈燭の數少き、薄暗き小劇場に出づるにこそ。おん身の記憶に存じたるアヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]は早や死して、その遺像は只だかしこの壁にありといひぬ。われは此詞を聞きて、向ひの壁を仰ぎ看しに、一面の大畫幅あり。枠《わく》を飾れる黄金の光の、燦然《さんぜん》として四邊《あたり》を射るさま、室内|貧窶《ひんく》の摸樣と、全く相反せり。圖するところはヂド[#「ヂド」に傍線]に扮したるアヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]が胸像なりき。氣高《けだか》く麗《うるは》しきその面輪《おもわ》、威ありて險《けは》しからざる其額際、皆我が平生の夢想するところに異ならず。我視線は覺えずすべりて、壁間の畫より座上の主人《あるじ》に移りぬ。アヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]は面を掩ひて、世の人の我を忘れし如く、おん身も今は我を忘れて、疾く行き給へといふ。われ。否、われ爭《いか》でか行くことを得ん、爭でか此儘に行くことを得ん。おん身は聖母《マドンナ》の惠を忘れ給ふか。聖母はおん身を救ひ給はん、我等を救ひ給はん。アヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]。おん身は衰運に乘じて人を辱《はづかし》めんとはし給はざるべし。むかし交らひ侍りし時より、おん身の心のさる殘忍なる心ならざるを知る。さらばおん身は何故に、世擧《よこぞ》りて我を譽め我に諛《へつら》ふ時我を棄てゝ去り、今ことさらに我が世に棄てられたる殘躯《ざんく》の色も香もなきを訪《とぶら》ひ給ふぞ。われ。情なき事をな宣給《のたま》ひそ。我|爭《いか》でかおん身を棄つべき。我を棄て給ひしは、我を逐ひて風塵の巷《ちまた》に奔《はし》らしめ給ひしは、おん身にこそあれ。かく言はゞ、おん身は我を自ら揣《はか》らざるものとやし給はん。さらば只だ我を驅逐せしものは我運命なり、我因果なりとやいはん。此詞|纔《わづか》に出でゝ、アヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]はその猶美しき目を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》り、ことばはなくて我面を凝視し、その色を失へる唇はものいはんと欲する如くに動きて又止み、深き息|徐《おもむ》ろに洩れて、目は地上に注《そゝ》がるゝことしばらくなりき、アヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]は忽ち右手《めて》を擧げて、緩《ゆるやか》にその額《ぬか》を撫でたり。一の祕密の神とおのれとのみ知れるありて、此時心頭に浮び來りしにやあらん。アヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]は再び口を開きぬ。我は君と再會せり。此世にて再會せり。再會していよ/\君が情ある人なることを知る。されど薔薇は既に凋《しを》れ、白鵠《くゞひ》は復た歌はずなりぬ。おもふに君は聖母《マドンナ》の恩澤に浴して、我に殊《こと》なる好き運命に逢ひ給ふなるべし。今はわれに唯だ一つの願あり。アントニオ[#「アントニオ」に傍線]よ、能くそを※[#「りっしんべん+(匚<夾)」、第3水準1−84−56]《かな》へ給はんかといふ。われ手に接吻して、いかなるおん望にもあれ、身にかなふ事ならばといふに、アヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]、さらばこよひの事をば夢とおぼし棄て給ひて、いまより後いついづくにて相見んとも、おん身と我とは識らぬ人となりなんこと、是れわが唯だ一つの願ぞ、さらば、アントニオ[#「アントニオ」に傍線]、これより善き世界に生れ出でなば、また相見ることもあらんとて、我手を握りぬ。苦痛の重荷に押し据ゑられたる我は、アヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]が足の下に伏しまろびしに、アヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]徐《しづ》かに扶《たす》け起し、すかして戸外に伴ひ出でぬ。我は小兒の如くすかされて、小兒の如く泣きつゝ、又來んを許し給へ、許し給へと繰返しつ。戸は、さらばといふ最後の一こゑに鎖されて、われは空しく暗黒なる廊《わたどの》の中に立てり。街に出づれば、その暗黒は屋内《やぬち》に殊ならざりき。神よ。おん身の造り給ふところのものゝ中に、かゝる不幸もありけるよと、獨り泣きつゝ我は叫びぬ。此夜は家に返りて些の眠をだに得ずして止みぬ。
翌日《あくるひ》はわれアヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]が爲めに百千《もゝち》の計畫を成就《じやうじゆ》し、百千の計畫を破壞して、終には身の甲斐《かひ》なさを歎くのみなりき。嗚呼、われは素《も》とカムパニア[#「カムパニア」に二重傍線]の野の棄兒なり。羅馬の貴人《あてびと》は我を霑《うるほ》す雨露に似て、實は我を縛《ばく》する繩索《じようさく》なりき。恃《たの》むところは單《た》だ一の技藝にして、若し意を決して、これによりて身を立てんとせば、成就の望なきにしもあらず。されども技藝の聲價、技藝の光榮は、縱令《よしや》其極處に詣《いた》らんも、昔のアヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]が境遇の上に出づべくもあらず。而るにそのアヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]が末路は奈何《いか》なりしぞ。假に彩虹の色をやどしつゝ飛泉の水の、末はポンチニ[#「ポンチニ」に二重傍線]の沼澤に沈み去るにも似たらずや。
思慮はたゞ
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