れは詩を作るごとに、我詩の前世の記憶の如く、前身の搖籃中にて聞きし歌の名殘の如きを感ず。われは創作すと感ぜず、われは復誦すと感ず。姫。その思想といふものも、いかなるが詩となすに宜《よろ》しかるべきか知るよしなけれど、わが尼寺にありし時、ふと物の懷《なつ》かしき如き情、遠きに騁《は》する如き情の胸に溢るゝことあり。その懷かしきは何ぞ、その騁するは何をあてぞといはば、われ自ら答ふるところを知らず。されど夢に吾夫《わがつま》たるべき耶蘇《やそ》を見、又|聖母《マドンナ》を見るときは、我心はこれに慰められたり。かゝる情も詩となるべしや否や、覺束《おぼつか》なし。館《たち》に歸りての後は、耶蘇聖母の夢に見え給ふこと稀にして、華やかなる浮世の事、罪深き人間の事のみ夢に入りぬ。されば唯だ尼寺に返らんことこそ願はしけれ。アントニオ[#「アントニオ」に傍線]よ。おん身は親しき友なれば告ぐべし。われはこの頃漸く心の汚れんとするを覺ゆるなり。そは粧ひ飾らんとする願起りて、人の美しと褒むるが喜ばしくなれるにて知らる。尼寺の人々に知られなば、何とかいはれん。われ。世に君の如く淨き心あるべしや。われは唯だ我心の
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