スりと覺えられき。されど當時は、我等悉く媼が詞の顛末《もとすゑ》を解《げ》すること能はざりき。媼のいふやう。あらず。此兒が衆人《もろひと》の前にて説くところは、げに格子の裏《うち》なる尼少女の歌より優しく、アルバノ[#「アルバノ」に二重傍線]の山の雷より烈しかるべし。されどその時戴くものは大なる帽にあらず。福《さいはひ》の座は、かの羊の群の間に白雲立てる、カヲ[#「カヲ」に二重傍線]の山より高きものぞといふ。この詞のめでたげなるに、母上は喜び給ひながら、猶|訝《いぶか》しげにもてなして、太き息つきつゝ宣給《のたま》ふやう。あはれなる兒なり。行末をば聖母こそ知り給はめ。アルバノ[#「アルバノ」に二重傍線]の農夫の車より福《さいはひ》の車は高きものを、かゝるをさな子のいかでか上り得むとのたまふ。媼のいはく。農車の輪のめぐるを見ずや。下なる輻《や》は上なる輻となれば、足を低き輻に踏みかけて、旋《めぐ》るに任せて登るときは、忽ち車の上にあるべし。(アルバノ[#「アルバノ」に二重傍線]の農車はいと高ければ、農夫等かくして登るといふ。)唯だ道なる石に心せよ。市に舞ふ人もこれに躓《つまづ》く習ぞとい
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