mるべきならねどなど、心ありげに云へり。
われは日ごとに公苑に往き戲園《しばゐ》に入り、又心安からぬまゝに寺院を尋ねて、聖母《マドンナ》の足の下に俯《ふ》することあり。頬燃え胸跳るばかりなる怖ろしき誘惑に想ひ到れば、懺悔の念|轉※[#二の字点、1−2−22]《うたゝ》深く、志を遂げ功を成さんと欲する大いなる企圖を顧み思へば、祈祷の心愈※[#二の字点、1−2−22]切なり。されど我靈は我肉と鬪へり。わが心機の一轉すべき期《ご》は、想ふに日曜日にあるならん。われは慰藉を得ずして、空しく聖母の膝下を走り出でぬ。
一たび偕《とも》に嚢家《なうか》(博奕場《ばくえきぢやう》)に往かずや、いかなる境界《きやうがい》をも詩人は知らざるべからずとは、吾友フエデリゴ[#「フエデリゴ」に傍線]の曾て云ひしところなり。されど友は我を伴ひしことなく、我も亦獨り往かん心を生ずることなかりき。こは見んことの願はしからざるにあらず、心の怯《おく》れたるなり。むかしベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]の我にいひしことあり。汝はドメニカ[#「ドメニカ」に傍線]に育てられ、「ジエスヰタ」派の學校に人となりて、その
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