は我がつねに望む所なり、コルレジヨオ[#「コルレジヨオ」に傍線]がダナエ[#「ダナエ」に傍線]なども、己れは人の愛《め》づらんやうには愛でず、少女(ダナエ[#「ダナエ」に傍線]を謂ふ、希臘諸神の祖なるチエウス[#「チエウス」に傍線]黄金の雨となりて遘《ま》き給ひ、ペルセウス[#「ペルセウス」に傍線]を生ませ給ふ)の貌はいかにも美しく、臥床《ふしど》の上にて黄金掻き集むる羽ある童の形もいと神々しけれど、その事餘りにみだりがはしくして、興さむる心地す、ラフアエロ[#「ラフアエロ」に傍線]の大なるはこゝにあり、わが知れる限は、その採るところの題、毎《つね》に高雅にして些《いさゝか》の穢《けが》れだになし、かくてこそめでたき聖母の面影をば傳ふべかりしなれといふ。われ。仰せは理あるに似たれども、畫の妙は題の穢を忘れしむることあるべし。姫。そはきはめて有るべからざる事なり。藝術はその枝その葉の末までも、清淨|醇白《じゆんぱく》なるべきものにて、理想の高潔は人を動かすこと形式の美麗に倍す。古の作者の手に成りし聖母の像を視るに、すべて硬く鋭くして、支那人の畫もかくやとおもはるれども、我はこれに打ち向
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