聞きつゝ、「アヱ、マリア」の祈をなしつ。アンジエリカ[#「アンジエリカ」に傍線]が家に歸り着きて、我心は纔におちゐたり。
 新に編みたる環飾一つを懸けたる、眞鍮の燈には、四條《よすぢ》の心《しん》に殘なく火を點し、「モンツアノ、アル、ポミドロ」といふ旨《うま》きものに、善き酒一瓶を添へて供せられき。農夫等は下なる一間にて飮み歌へり。二人代る/″\唱へ、末の句に至りて、坐客|齊《ひと》しく和したり。我が子供と共に、燃ゆる竈の傍なる聖母の像のみまへにゆきて、讚美歌唱へはじめしとき、農夫等は聲を止めて、我曲を聽き、好き聲なりと稱《たゝ》へき。その嬉しさに我は暗き林をも、怪しき老女をも忘れ果てつ。我は農夫等と共に、即興の詩を歌はむとおもひしに、母上とゞめて宣給《のたま》ふやう。そちは香爐を提《ひさ》ぐる子ならずや。行末は人の前に出でゝ、神のみことばをも傳ふべきに、今いかでかさる戲せらるべき。謝肉《カルネワレ》の祭はまだ來ぬものを、とのたまひき。されど我がアンジエリカ[#「アンジエリカ」に傍線]が家の廣き臥床《ふしど》に上りしときは、母上我枕の低きを厭ひて、肱さし伸べて枕せさせ、頼《たのみ》ある子ぞ、と胸に抱き寄せて眠り給ひき。我は旭《あさひ》の光窓を照して、美しき花祭の我を喚《よ》び醒《さま》すまで、穩なる夢を結びぬ。
 その旦《あした》先づ目に觸れし街の有樣、その彩色したる活畫圖を、當時の心になりて寫し出さむには、いかに筆を下すべきか。少しく爪尖あがりになりたる、長き街をば、すべて花もて掩《おほ》ひたり。地は青く見えたり。かく色を揃へて花を飾るには、園生《そのふ》の草をも、野に茂る枝をも、摘み盡し、折り盡したるかと疑はる。兩側には大なる緑の葉を、帶の如く引きたり。その上には薔薇の花を隙間なきまで並べたり。この帶の隣には又似寄りたる帶を引きて、その間をば暗紅なる花もて填めたり。これを街の氈《かも》の小縁《さゝへり》とす。中央には黄なる花多く簇《あつ》めて、その角立ちたる紋を成したる群を星とし、その輪の如き紋を成したる束を日とす。これよりも骨折りて造り出でけんと思はるゝは、人の名頭《ながしら》の字を花もて現したるにぞありける。こゝにては花と花と聯《つら》ね、葉と葉と合せて形を作りたり。總ての摸樣は、まことに活きたる五色の氈《かも》と見るべく、又|彩石《ムザイコ》を組み合せたる牀《とこ》と見るべし。されどポムペイ[#「ポムペイ」に二重傍線]にありといふ床にも、かく美しき色あるはあらじ。このあした、風といふもの絶てなかりき。花の落着きたるさまは、重き寶石を据ゑたらむが如くなり。窓といふ窓よりは、大なる氈を垂れて石の壁を掩《おほ》ひたり。この氈も、花と葉とにて織りて、おほくは聖書に出でたる事蹟の圖を成したり。こゝには聖母と穉《をさな》き基督とを騎《の》せたる驢《うさぎうま》あり、ジユウゼツペ[#「ジユウゼツペ」に傍線]その口を取りたり。顏、手、足なんどをば、薔薇の花もて作りたり。こあらせいとう(マチオラ)の花、青き「アネモオネ」の花などにて、風に翻《ひるがへ》りたる衣を織り成せり。その冠を見れば、ネミ[#「ネミ」に二重傍線]の湖にて摘みたる白き睡蓮《ひつじぐさ》(ニユムフエア)の花なりき。かしこには尊きミケル[#「ミケル」に傍線]の毒龍と鬪へるあり。尊きロザリア[#「ロザリア」に傍線]は深碧なる地球の上に、薔薇の花を散らしたり。いづかたに向ひて見ても、花は我に聖書の事蹟を語れり。いづかたに向ひて見ても、人の面は我と同じく樂しげなり。美しき衣|着裝《きよそ》ひて、出張りたる窓に立てるは、山のあなたより來し異國人《ことくにびと》なるべし。街の側には、おのがじし飾り繕ひたる人の波打つ如く行くあり。街の曲り角にて、大なる噴井あるところに、母上は腰掛け給へり。我は水よりさしのぞきたるサチロ[#「サチロ」に傍線](羊脚の神)の神の頭《かうべ》の前に立てり。
 日は烈しく照りたり。市中の鐘ことごとく鳴りはじめぬ。この時美しき花の氈を踏みて、祭の行列過ぐ。めでたき音樂、謳歌の聲は、その近づくを知らせたり。贄櫃《モンストランチア》の前には、兒《ちご》あまた提香爐《ひさげかうろ》を振り動かして歩めり。これに續きたるは、こゝらあたりの美しき少女を撰《え》り出でて、花の環を取らせたるなり。もろ肌ぬぎて、翼を負ひたる、あはれなる小兒等は、高卓《たかづくゑ》の前に立ちて、神の使の歌をうたひて、行列の來るを待てり。若人等は尖りたる帽の上に、聖母の像を印したる紐のひら/\としたるを付けたり。鎖に金銀の環を繋ぎて、頸に懸けたり。斜に肩に掛けたる、彩《いろど》りたる紐は、黒|天鵝絨《びろおど》の上衣に映じて美し。アルバノ[#「アルバノ」に二重傍線]、フラスカアチ[#「フラスカ
前へ 次へ
全169ページ中14ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
アンデルセン ハンス・クリスチャン の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング