獅子の口に押し當て、水を頭に被りぬ。衣や潤《うるほ》はん、髮や亂れん、とドメニカ[#「ドメニカ」に傍線]は氣遣ひぬ。ヰア、リペツタ[#「ヰア、リペツタ」に二重傍線]を下りゆきて、ボルゲエゼ[#「ボルゲエゼ」に傍線]の館に近づきぬ。我もドメニカ[#「ドメニカ」に傍線]も、此館の前をば幾度となく過《よぎ》りしかど、けふ迄は心とめて見しことなし。今歩を停めて仰ぎ見れば、その大さ、その豐さ、その美しさ、譬へんに物なしと覺えき。殊に目を駭《おどろ》かせるは、窓の裡なる長き絹の帷《とばり》なり。あの内にいます君は、いま我等が識る人となりぬ。きのふその君の我家に來給ひし如く、いま我等はそのみたちに入らんとす。斯く思へば嬉しさいかばかりならん。
 中庭、部屋々々を見しとき、身の震ひたるをば、われ決して忘れざるべし。あるじの君は我に親し。彼も人なり。我も人なり。然《さ》はあれどこの家居のさまこそ譬へても言はれね。聖《ひじり》と世の常の人との別もかくやあらん。方形をなして、いろ/\なる全身像、半身像を据ゑつけたる、白塗の※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]廊のいと高きが、小き園を繞《めぐ》れるあり。(後にはこゝに瓦を敷きて中庭とせり。)高き蘆薈《ろくわい》、霸王樹《はわうじゆ》なんど、廊の柱に攀《よ》ぢんとす。檸檬樹《リモネ》はまだ日の光に黄金色に染められざる、緑の實を垂れたり。希臘《ギリシヤ》の舞女の形したる像二つあり。力を併《あは》せて、金盤一つさし上げたるがその縁少しく欹《そば》だちて、水は肩に迸《はし》り落ちたり。丈高く育ちたる水草ありて、露けき緑葉もてこの像を掩《おほ》はんとす。烈しき日に燒かれたるカムパニア[#「カムパニア」に二重傍線]の瘠土に比ぶるときは、この園の涼しさ、香《かぐは》しさ奈何《いかに》ぞや。
 闊《ひろ》き大理石の梯を登りぬ。龕《がん》あまたありて、貴き石像立てり。其一つをば、ドメニカ[#「ドメニカ」に傍線]聖母ならんと思ひ惑ひて、立ち停りてぬかづきぬ。後に聞けば、こはヱスタ[#「ヱスタ」に傍線]の像なりき。これも人間の奇《く》しき處女にぞありける。(譯者のいはく。希臘の竈《かまど》の神なり。男神二人に挑《いど》まれて、嫁せずして終りぬと云ひ傳ふ。)飾美しき「リフレア」着たる僮《しもべ》出で迎へつ。その面持《おももち》の優しさには、こゝの間《ま》ご
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