ノして眠りしものを。當時わがいよ/\まことの孤《みなしご》になりしをば、まだ熟《よ》くも思ひ得ざりしかど、わが穉き心にも、唯だ何となく物悲しかりき。人々は我に果子《くわし》、くだもの、玩具《もてあそびもの》など與へて、なだめ賺《すか》し、おん身が母は今聖母の許にいませば、日ごとに花祭ありて、めでたき事のみなりといふ。又あすは今一度母上に逢はせんと慰めつ。人々は我にはかく言ふのみなれど、互にさゝやぎあひて、きのふの鷙鳥《してう》の事、怪しき媼《おうな》の事、母上の夢の事など語り、誰も/\母上の死をば豫め知りたりと誇れり。
 暴馬《あれうま》は街はづれにて、立木に突きあたりて止まりぬ。車中よりは、人々齡《よはひ》四十の上を一つ二つ踰《こ》えたる貴人の驚怖のあまりに氣を喪《うしな》はんとしたるを助け出だしき。人の噂を聞くに、この貴人はボルゲエゼ[#「ボルゲエゼ」に傍線]の族《うから》にて、アルバノ[#「アルバノ」に二重傍線]とフラスカアチ[#「フラスカアチ」に二重傍線]との間に、大なる別墅《べつしよ》を搆《かま》へ、そこの苑《その》にはめづらしき草花を植ゑて樂《たのしみ》とせりとなり。世にはこの翁《おきな》もあやしき藥草を知ること、かのフルヰア[#「フルヰア」に傍線]といふ媼に劣らずなど云ふものありとぞ。此貴人の使なりとて、「リフレア」着たる僕《しもべ》盾銀《たてぎん》(スクヂイ)二十枚入りたる嚢《ふくろ》を我に貽《おく》りぬ。
 翌日の夕まだ「アヱ、マリア」の鐘鳴らぬほどに、人々我を伴ひて寺にゆき、母上に暇乞《いとまごひ》せしめき。きのふ祭見にゆきし晴衣《はれぎ》のまゝにて、狹き木棺の裡《うち》に臥し給へり。我は合せたる掌に接吻するに、人々|共音《ともね》に泣きぬ。寺門には柩《ひつぎ》を擔ふ人立てり。送りゆく僧は白衣着て、帽を垂れ面を覆へり。柩は人の肩に上りぬ。「カツプチノ」僧は蝋燭に火をうつして挽歌をうたひ始めたり。マリウチア[#「マリウチア」に傍線]は我を牽《ひ》きて柩の旁《かたへ》に隨へり。斜日《ゆふひ》は蓋《おほ》はざる棺を射て、母上のおん顏は生けるが如く見えぬ。知らぬ子供あまたおもしろげに我めぐりを馳せ※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]りて、燭涙の地に墜ちて凝りたるを拾ひ、反古《ほご》を捩《ひね》りて作りたる筒に入れたり。我等が行くは、きのふ祭の行列の
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