梶t客中の遭遇とは、常に胸裡に往來して、侯爵家の人々の所謂教育は斷えず腦髓を刺戟し、我を驅りて詩國に入らしめ、我心頭には時として我生涯の一篇の完璧をなして浮び出づることあり。その中にはいかなる瑣細なる事も、いかなる厭ふべく苦むべき事も、一として滿分の詩趣を具へざるはなかりき。我中情は此の如く詠歎の聲を迫《せ》り出して、我をしてダヰツト[#「ダヰツト」に傍線]の故事の最も當時の感興を寓するに宜しきを覺えしめしなり。
 詩成りて、我は復たその名作たるを疑はざりき。而して我は神に謝する情の胸に溢るゝを見たり。そは我平生の習として、一詩句を得るごとに、未だ嘗て神の我靈魂を護りて、詩思を生ぜしめ給ふを謝せざることあらざればなり。此作は我心の瘡痍《さうい》を醫《いや》すべき藥液なりき。我は自ら以爲《おも》へらく。人々若し我此作を讀まば、その我に苦痛を與ふることの非なるを悟りて、善く我を遇するに至るならんと。
 詩成りて、作者より外、未だ一人の肉眼のこれに觸れたるものあらず。この塵を蒙《かうむ》らざる美の影圖は、その氣高《けだか》きこと彼「ワチカアノ」なるアポルロン[#「アポルロン」に傍線]の神の像の如く、儼然《げんぜん》として我前に立てり。嗚呼、この影圖よ。今これを知りたるものは、唯だ神と我とのみ。我は學士會院に往きてこれを朗讀すべき日を樂み待てり。
 さるを一日《あるひ》フアビアニ[#「フアビアニ」に傍線]公子とフランチエスカ[#「フランチエスカ」に傍線]夫人との優しさ常に倍するを覺えければ、我は此二恩人に對して心中の祕密を守ること能はざりき。こは小尼公《アベヂツサ》の來給ひしより二三日の後なりきと覺ゆ。公子夫婦は聞きて、さらばその詩をば我等こそ最初に聽くべけれと宣給ふ。我は直ちに諾《だく》しつれど、心にはこの本讀《ほんよみ》の發落《なりゆき》いかにと氣遣はざること能はざりき。さて我詩を讀むべき夕には、老侯も席に出で給ふ筈なりき。此日となりて又期せずしてハツバス・ダアダア[#「ハツバス・ダアダア」に傍線]の侯爵家を訪ふに會ひぬ。フランチエスカ[#「フランチエスカ」に傍線]はこれを留めて、渠《かれ》にも我が讀むべき詩を聽かしめんといひぬ。われは此翁の偏執の念強くして人の才を妬み、特に平生我を喜ばざるを知れり。公子夫婦の心|冷《ひやゝか》なる、既に好き聽衆とすべきならぬに、今又此
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