驍ノても人の妻となりてより幾年をか經給《へたま》ひし。女主人。最早《もはや》十とせあまりになりぬ。かしこなる娘たちに問ひ試み給へかしといふ。この時先に門の口にて遊び居たりし二人の娘、我等が前に走り來りぬ。われは故意《わざ》と娘等に向ひて、これは汝たちの母なりやと問ひしに、娘等はゑましげに主人を見て、さなり/\と頷きつゝ右ひだりより主人に倚《よ》り添ひたり。
女主人は酒もち來りて薦《すゝ》めたり。その味はいとめでたかりき。我等は杯を擧げてあるじの健康を祝したり。ジエンナロ[#「ジエンナロ」に傍線]われを指さして、この男は詩人なり、舞臺に出でゝ即興詩といふ者を歌ふを業《わざ》とす、されば拿破里《ナポリ》の婦人をばことごとく迷はしたれど、生來|頑《かたくな》なること石の如く、世に謂ふ女嫌ひなどいふものにや、まだ婦人に接吻したることなしといへり、珍らしき人にあらずやといへば、主人、さる人は世に有りがたからんとて笑へり。ジエンナロ[#「ジエンナロ」に傍線]語を繼ぎてわれはそれとは表裏《うらうへ》なり、あらゆる美しき女を愛し、あらゆる美しき女に接吻し、あらゆる美しき女の身方《みかた》となりて、到るところ人の心をやはらぐ、されば美しき女に接吻を求むるは我權利なり、我が受け納るべき租税なり、これをばおん身も拂ひ給はざるべからずといひて、つとあるじの手を※[#「てへん+參」、107−上段−22]《と》りたり。女主人。われは人の心やはらげ給ふといふおん惠に與《あづか》らんことをも願はず、さればさる租税をもえ納め侍らず。我租税をば、我夫自ら來りて收め取る習なり。ジエンナロ[#「ジエンナロ」に傍線]。その夫はいづくにあるか。女主人。さまで遠からぬところにあり。ジエンナロ[#「ジエンナロ」に傍線]。われは拿破里に居れども、いまだかくまで美しき手を見つることあらず。此上に接吻一つせんといはゞ、價いくばくをか求め給ふ。女主人。盾銀《たてぎん》一つにては貴かるべきか。ジエンナロ[#「ジエンナロ」に傍線]。さらば盾銀二つ出さば、唇をも任せ給ふべきか。女主人。否、そは千金にも換へ難し。そは吾夫の特權なり。この對話の間、女あるじは我等に酒を侑《すゝ》めて、ジエンナロ[#「ジエンナロ」に傍線]の慣々《なれ/\》しきをも惡《にく》む色なく、尚暫く無邪氣なる應答をなし居たり。我等はあるじのまことは十四歳にて
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