オ後、われは猶|※[#「宀かんむり/浸」、第4水準2−8−7]《やゝ》久しく出窓に坐して、外《と》の方《かた》を眺め居たり。こゝよりは啻《たゞ》に廣こうぢの隈々《くま/″\》迄見ゆるのみならず、かのヱズヰオ[#「ヱズヰオ」に二重傍線]の山さへ眞向《まむき》に見えたり。夢の裡《うち》に移り來しにはあらずやと疑はるゝ此境の景色は、われをして容易《たやす》く臥床《ふしど》に上ることを得ざらしめしなり。目の下なる街は漸く靜になりて、燈火《ともしび》の數も亦減ぜり。最早眞夜中過ぎたるなるべし。
ヱズヰオ[#「ヱズヰオ」に二重傍線]の山の姿は譬《たとへ》ば焔もて畫きたる松柏の大木の如し。直立せる火柱はその幹、火光を反射せる殷紅《あんこう》なる雲の一群《ひとむら》はその木の巓《いたゞき》、谷々を流れ下る熔巖《ラワ》はその闊《ひろ》く張りたる根とやいふべき。わがこれに對する情をば、いかなる詞もて寫し出すべきか、われは神と面《おも》相向へり。神の聲は彼火坑より發して直ちに我耳に響けり。神の威力、智慧、矜恤《きようじゆつ》、愛憐は我胸に徹したり。その迅雷《じんらい》風烈を放ち出す手は、また一隻の雀をだに故なくして地に墮《おと》すことなきなり。わが久しき間の經歴は我前に現じて一瞬時の事蹟に同じく、神の扶掖嚮導《ふえききやうだう》の絲は分明《ぶんみやう》に辨識せられたり。われは敢て自家を以て否運の兒となさじ。神の禍《わざはひ》を轉じて福《さいはひ》となし給へる迹《あと》は掩《おほ》ふ可からざるものあればなり。初めわれ不測の禍のために母上を喪《うしな》ひまゐらせき。されど故《わざ》とならぬ其罪を贖《あがな》はんとてこそ、車上の貴人《あてびと》は我に字を識り書を讀むことを教へしめ給ひしなれ。マリウチア[#「マリウチア」に傍線]とペツポ[#「ペツポ」に傍線]とのわが身を爭ひて、わが全く寄邊《よるべ》なき身の上となりしは、寔《まこと》に限なき不幸なりき。されど斯くてわれカムパニア[#「カムパニア」に二重傍線]の曠野《あらの》に日を送ることなくば、かゝる貴人の爭《いか》でか我を認め得給はん。此の如く因果の鐺《くさり》を手繰《たぐ》りもて行くに、われは神の最大の矜恤、最大の愛憐を消受せしこと疑ふべからず。唯だ凡慮に測り知られぬは我とアヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]との上なり。ベルナルドオ[#
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