ュるはずば、正三時には出で立つべし。されど明日はむづかしき日にて候ふ。税關の調べ二度、手形の改め三度あるべし。さらば、平かに憩はせ給へとて、車主は手を帽庇《ばうひ》に加へ、輕く頷きて去りぬ。
誘はれたる部屋は海に向へり。折しも風輕く起りて、窓の下には長き形したる波の寄ては又返すを見る。こゝの景色はカムパニア[#「カムパニア」に二重傍線]の景色とは全く殊なるに、いかなれば吾胸中には、少時の住家の事、ドメニカ[#「ドメニカ」に傍線]の媼《おうな》の事など浮び出でけん。世の中は廣けれど、眞ごゝろより我上を氣遣ひ呉るゝ人、彼媼の如きはあらじ。近きところに住みながら、屡※[#二の字点、1−2−22]往きて訪ふことだになかりしは、我と我身の怪まるゝばかりなり。彼フランチエスカ[#「フランチエスカ」に傍線]の君の如きは、我を愛し給はざるにあらねど、凡そ恩をきるものと恩をきするものとの間には、未だ報恩の志を果さゞる限は、大なる溝渠ありて、縱《たと》ひ優しき情《なさけ》の蔓草の生ひまつはりて、これを掩《おほ》ふことあらんも、能く全くこれを填《うづ》むることなし。漸くにして、ベルナルドオ[#「ベルナルドオ」に傍線]とアヌンチヤタ[#「アヌンチヤタ」に傍線]との上に想ひ及ぶとき、われは頬《ほ》の邊の沾《うるほ》ふを覺えき。涙にやありし、又窓の下なる石垣に中《あた》りし波の碎け散りて面に濺《そゝ》ぎたるにやありし。
翌日は夜のまだ明けぬに、車に乘りてテルラチナ[#「テルラチナ」に二重傍線]を立ちぬ。領分境に至りて、手形改めあるべしとて、人々車を下りぬ。此の時始めて同行の人を熟視したるに、齡《よはひ》三十あまりと覺しく、髮の色|明《あか》く瞳子《ひとみ》青き男我目にとまれり。何處にてか見たりけん、心におぼえある顏なり。その詞を聞けば外國音《とつくにおん》なり。
手形は多く外國文《とつくにおん》もて認《したゝ》めたるに、境守る兵士は故里《ふるさと》の語だによくは知らねば、檢閲は甚しく手間取りたり。瞳子青き男は帖《てふ》一つ取出でゝ、あたりの景色を寫せり。げに街道に据ゑたる關の、上に二三の尖《とが》れる塔を戴きたる、その側なる天然の洞穴、遠景たるべき山腹の村落、皆好畫料とぞ思はるゝ。
わが背後《うしろ》よりさし覗きし時、畫工はわれを顧みて、あの大なる洞《ほら》の中なる山羊《やぎ》の群のお
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