は我がつねに望む所なり、コルレジヨオ[#「コルレジヨオ」に傍線]がダナエ[#「ダナエ」に傍線]なども、己れは人の愛《め》づらんやうには愛でず、少女(ダナエ[#「ダナエ」に傍線]を謂ふ、希臘諸神の祖なるチエウス[#「チエウス」に傍線]黄金の雨となりて遘《ま》き給ひ、ペルセウス[#「ペルセウス」に傍線]を生ませ給ふ)の貌はいかにも美しく、臥床《ふしど》の上にて黄金掻き集むる羽ある童の形もいと神々しけれど、その事餘りにみだりがはしくして、興さむる心地す、ラフアエロ[#「ラフアエロ」に傍線]の大なるはこゝにあり、わが知れる限は、その採るところの題、毎《つね》に高雅にして些《いさゝか》の穢《けが》れだになし、かくてこそめでたき聖母の面影をば傳ふべかりしなれといふ。われ。仰せは理あるに似たれども、畫の妙は題の穢を忘れしむることあるべし。姫。そはきはめて有るべからざる事なり。藝術はその枝その葉の末までも、清淨|醇白《じゆんぱく》なるべきものにて、理想の高潔は人を動かすこと形式の美麗に倍す。古の作者の手に成りし聖母の像を視るに、すべて硬く鋭くして、支那人の畫もかくやとおもはるれども、我はこれに打ち向ふごとに、必ず心の底に徹する如き念をなせり。この高潔といふものは、その作畫者のために缺くべからざること、度曲者《ときよくしや》に於けると同じ。名作中こゝかしこに稍※[#二の字点、1−2−22]過ぎたりと見ゆる節あるをば、その作者の一時の出來心と看做《みな》して、恕《ゆる》すこともあるべけれど、その疵瑕《しか》は遂に疵瑕たることを免るべからず。わがまことに愛づるは無瑕の美玉にこそ。われ。さらば君は變化を命題の間に求めんことをば是とし給はずや。いかなる大家|鉅匠《きよしやう》にても、幅ごとに題を同うせば人の厭倦を招くなるべし。姫。否々、そは我が言はんと欲せしところにあらず。わが本意は畫工に聖母のみ畫かせんとにはあらず。めでたき山水も好し。賑はしき風俗畫、颶風《ぐふう》に抗《あらが》ふ舟の圖も好し。サルワトオレ・ロオザ[#「サルワトオレ・ロオザ」に傍線]が山賊の圖もいかでか好からざらん。われは唯だ藝術の境に背徳を容れじとこそ云へ。わが趣味より視れば、かの「シヤリア」宮なるシドオニイ[#「シドオニイ」に傍線]の畫の如きすら、その巧緻その汚穢《をわい》を掩《おほ》ふに足らず。君は猶彼圖を記し給ふ
前へ 次へ
全337ページ中130ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
アンデルセン ハンス・クリスチャン の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング