といふことを知らねばなりけり。
街のはつる處に、「コリゼエオ」(大觀棚《おほさじき》)の頂見えたるとき、われ等はかの洞の方へゆくにや、と畫工に問ひしに、否、あれよりは※[#「二点しんにょう+向」、第3水準1−92−55]《はるか》に大なる洞にゆきて、面白きものを見せ、そなたをも景色と倶《とも》に寫すべし、と答へき。葡萄圃の間を過ぎ、古の混堂《ゆや》の址《あと》を圍みたる白き石垣に沿ひて、ひたすら進みゆく程に羅馬の府の外に出でぬ。日はいと烈しかりき。緑の枝を手折りて、車の上に※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]し、農夫はその下に眠りたるに、馬は車の片側に弔《つ》り下げたる一束の秣《まぐさ》を食ひつゝ、ひとり徐《しづか》に歩みゆけり。やう/\女神エジエリア[#「エジエリア」に傍線]の洞にたどり着きて、われ等は朝餐《あさげ》を食《たう》べ、岩間より湧き出づる泉の水に、葡萄酒混ぜて飮みき。洞の裏《うち》には、天井にも四方の壁にも、すべて絹、天鵝絨《びろおど》なんどにて張りたらむやうに、緑こまやかなる苔生ひたり。露けく茂りたる蔦《つた》の、おほいなる洞門にかゝりたるさまは、カラブリア[#「カラブリア」に二重傍線]州の谿間《たにま》なる葡萄架《ぶだうだな》を見る心地す。洞の前數歩には、その頃いと寂しき一軒の家ありて、「カタコンバ」のうちの一つに造りかけたりき。この家今は潰《つひ》えて斷礎をのみぞ留めたる。「カタコンバ」は人も知りたる如く、羅馬城とこれに接したる村々とを通ずる隧道《すゐだう》なりしが、半《なかば》はおのづから壞れ、半は盜人、ぬけうりする人なんどの隱家となるを厭ひて、石もて塞がれたるなり。當時猶存じたるは、聖セバスチヤノ[#「セバスチヤノ」に傍線]寺の内なる穹窿の墓穴よりの入口と、わが言へる一軒家よりの入口とのみなりき。さてわれ等はかの一軒家のうちなる入口より進み入りしが、おもふに最後に此道を通りたるはわれ等二人なりしなるべし。いかにといふに此入口はわれ等が危き目に逢ひたる後、いまだ幾《いくばく》もあらぬに塞がれて、後には寺の内なる入口のみ殘りぬ。かしこには今も僧一人居りて、旅人を導きて穴に入らしむ。
深きところには、軟《やはらか》なる土に掘りこみたる道の行き違ひたるあり。その枝の多き、その樣の相似たる、おもなる筋を知りたる人
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