ゆきぬ。その折には苞苴《みやげ》もてゆくことなるが、そはをぢが嗜《たしな》めるおほ房の葡萄二つ三つか、さらずば砂糖につけたる林檎なんどなりき。われはをぢ御《ご》と呼びかけて、その手に接吻しき。をぢはあやしげに笑ひて、われに半「バヨツコ」を與へ、果子をな買ひそ、果子は食ひ畢《をは》りたるとき、迹かたもなくなるものなれど、この錢はいつまでも貯へらるゝものぞと教へき。
 をぢが住めるところは、暗くして見苦しかりき。一|間《ま》には窓といふものなく、また一|間《ま》には壁の上の端に、破硝子《やれガラス》を紙もて補ひたる小窓ありき。臥床《ふしど》の用をもなしたる大箱と、衣を藏《をさ》むる小桶二つとの外には、家具といふものなし。をぢがり往け、といはるゝときは、われ必ず泣きぬ。これも無理ならず。母上はをぢにやさしくせよ、と我にをしへながら、我を嚇《おど》さむとおもふときは、必ずをぢを案山子《かゝし》に使ひ給ひき。母上の宣《の》たまひけるやう。かく惡劇《いたづら》せば、好きをぢ御の許にやるべし。さらば汝も磴《いしだん》の上に坐して、をぢと共に袖乞するならむ、歌をうたひて「バヨツコ」をめぐまるゝを待つならむとのたまふ。われはこの詞を聞きても、あながち恐るゝことなかりき。母上は我をいつくしみ給ふこと、目の球にも優れるを知りたれば。
 向ひの家の壁には、小龕《せうがん》をしつらひて、それに聖母の像を据ゑ、その前にはいつも燈を燃やしたり。「アヱ、マリア」の鐘鳴るころ、われは近隣の子供と像の前に跪《ひざまづ》きて歌ひき。燈の光ゆらめくときは、聖母も、いろ/\の紐、珠、銀色したる心《しん》の臟などにて飾りたる耶蘇のをさな子も、共に動きて、我等が面を見て笑み給ふ如くなりき。われは高く朗なる聲して歌ひしに、人々聞きて善き聲なりといひき。或る時|英吉利《イギリス》人の一家族、我歌を聞きて立ちとまり、歌ひ畢《をは》るを待ちて、長《をさ》らしき人われに銀貨一つ與へき。母に語りしに、そなたが聲のめでたさ故、とのたまひき。されどこの詞は、その後我祈を妨ぐること、いかばかりなりしを知らず。それよりは、聖母の前にて歌ふごとに、聖母の上をのみ思ふこと能はずして、必ず我聲の美しきを聞く人やあると思ひ、かく思ひつゝも、聖母のわがあだし心を懷けるを嫉《にく》み給はむかとあやぶみ、聖母に向ひて罪を謝し、あはれなる子に慈悲
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