きいいといふことはまた、高座の人たちにとつても、何とはなく気の置けないゆつたりした気分になつて話しいいといふことになるのではないか。彼らはここでは肩を張つて稼いでゐるといふよりは、しみじみと寛いで語つてゐるといふに近かつた。自分の芸をたのしんでゐるのである。
 市内の席が寄席復興とやらで洋服を著たお客で溢れかへり、身動きも出来ず火鉢も置けぬ悦ばしい状態を現出してゐるのに、ここだけはそんな景気にならなかつたから不思議である。浅草へ遊びに来る客は、映画やレヴユーまたは十銭漫才を享楽しようとするので、時代に生残つた落語なぞ縁が遠かつたのかも知れない。それにしても地元の人たちのもう少しの後援があつたなら、さうむざむざと、――今更になつてはかへらぬ愚痴だが、そんな気がするのだが、とにかく、あすこまで持ちこたへて来た席亭主人に感謝する。
 寄席復興といはれてゐるものはあれは何であらう。この現象で、落語や落語家がもしもいい気になつてゐたら大まちがひだと思ふ。先に生残つたといふ言葉をつかつたがまさにその通りで、落語家は落語は滅びるものだとの観念をしつかりつかまへる必要があると思ふ。それが本当に落語を愛
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