のまま洗つてないので、黄色くなつてゐる浴衣《ゆかた》を着た。その上に、黒帯でウメ子を背負つた。
「一生、こんな村には帰つて来んぞ」
姪はかまどの煙の中から、どなり返した。
「さつさと失せろ! 顔見るのもイヤぢや」
駐在所では仙吉の帰つたのを知つてゐた。駐在所は地主の家に怒鳴りこんだ仙吉を取り押へる際に、彼のために、池ん中へ投げられた。そのしかへしは、彼を三ヶ月の間、S監獄に送つたのでは足りなかつた。村の若い連中をそそのかした。あんな旦那にタテつく社会主義の野郎は思ひ切りこらしめてやらにやならん。村の若い連中は仙吉を待ち伏せした。
池の側で仙吉は襲はれた。まだ朝の気が池の上をはつてゐた。ウメ子は柿の木の下に投げおろされた。草の露で彼女は濡れた。幾度も若者たちは怒声を発した。その度毎に仙吉の苦しさうな呻《うめ》き声《ごゑ》がきかれた。池の水は多くの波紋を作つて揺れた。若者たちが去ると仙吉は柿の木の下に来た。浴衣からは水が滴《したた》り、真青な頬からワナワナ震へる唇にかけて、小さい浮草が一面にくつついてゐた。裸体《はだか》になり、娘の横に彼も倒れた。そして、親と子は列んで泣きだした。
2
この小さい文章の書き手である武田はウメ子から、以上の話をきかされた。しかし、それは彼女がやつと四歳の時だ。だから、以上は彼女が実見したのではないだらう。父の仙吉が酔つぱらつて、幾度も彼女に話したのが、はつきりとした形を彼女の頭の中に作つたのにちがひない。彼らはO市へ出て来た。そして、それから十五年も経つ。十五年と云ふ年月は貧乏人のところでは色んな事件を起させるに十分だ。しかし、くはしいことは貧乏人である読者の想像に委せて、物語に必要な点だけを、書き抜かう。ウメ子の語つた通りに。
3
仙吉は色んな職業の中を転がつた。最初、車夫をした。町の道すぢもはつきり知らなかつた頃だ。脚を悪くして稼いだ。すると、警察から親方のところへ来た。村で小作料のことで地主と争つたことのために、彼は「社会主義者」の札《ふだ》をつけられてゐた。親方は曳き子の仙吉を逐《お》ふ決心をした。その夜、仙吉はやつと遊廓へ行く客を得て走つた。冴えた霜夜《しもよ》であつた。二十銭を受取つて帰つた。遅い夕食として夜泣きうどんを食はうとすると、確かにどんぶりの中へ入れた金がなかつた。仙吉は二時すぎ
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