た。しかし、すでに、毛並の光沢はなく、ざらざらとした感じの小汚い狐は、一片を咬へてゐたのだ。
「――はい、はい、ありがたうござります」
大袈裟にお辞儀をして、老人はその紙を取りあげた。
「――や、ありがたい、悦びなはれ、……何も案じることはないわ、病気まもなく快方に向ふべしとあるわ、末吉やがな」
と、「高等乞食」の眼の前に突出した。
「――さア、それから、こんどは、あんたの番や」
偶然にしろ、不吉な判断が出なくてよかつたと、私は悦んだ。
「――さア、お狐さま、どうど、お願ひ致しまつせ、……さア、早よ、お取り下さりませ、……や、いつもあんたが悪口云ふよつてに、罰当りな話やなア、見なはれ、お狐さまが、あつち向いて、知らん顔してはるわ」
老人の云ふ通りであつた。動物は太い尾の先を檻の金網の外へ出して、冷淡なかまへでじつと坐り込んで了つた。
「――さア、もういつぺん、やつて見まよ、……お狐さま、……」
と、おみくじ屋は再三試みた。やうやく、実にいやいやらしく、狐は無造作に一つの紙片を選び出した。
「――やれやれ、おほきに、さア、これが、あんたの来年の運勢や」
老人は、私の代りに展《ひら》いてくれたが、やつととてつもない叫びをあげた。
「――や、これはどないしたこつちやろ、大凶と出たわ、へえ、……」
と、呆れかへつて、私の顔を打守つてゐたが、
「――あほらしい、こんなことあるはずない、をかしい、ほんまにをかしすぎる」
さもあり得べからざる変事が起つたのに、胆をつぶして了つた形であつた。うしろに両手をついて、
「――うちのおみくじはやな、これでも相当花柳界や株屋はんにもお得意があるさかいに、凶と云ふのは、絶対に入れてないのや、そやのに、……そやのに、何と云ふことや、凶も凶、しかも、大凶やないか」
まだ信じられないのか、彼は幾度もおみくじを見直してゐた。
「――ああ、やつぱり大凶、ちがひない、……入れといた覚えのないもんが出るとは、こら、お稲荷さんの罰やで、……」
昂奮して独りで云ひつづけてゐたおみくじ屋は、遂に説明のつかない不思議を解きかねて、その彼流に不安なもどかしさを私に対する怒りに代へるのであつた。
「――この罰当りめ、この罰当りめ、こら、大凶云ふのは来年だけのことやあらへん、お前の一生が大凶やがな、……うちのおみくじにけちをつけやがつて!」
まだ除夜の鐘は陰々と鳴り響いてゐた。その中で、彼は毛物みたいに吼《ほ》えたてた。
[#地から1字上げ](昭和十四年九月)
底本:「現代文学大系 44 武田麟太郎・島木健作・織田作之助集」筑摩書房
1967(昭和42)年
入力:山根鋭二
校正:伊藤時也
1999年10月19日公開
2005年12月31日修正
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