の様子を、家の軒端に立つて、今まで首巻代りにしてゐた手拭で頬被りし、腕組んでゐる宿なしたちも別に注意しなかつたし、交番所の年とつた巡査も怪しまなかつたところを見ると、その外来者は、この土地に適した顔かたちをしてゐるのだらう。さう云へば、実は彼は東京に住む小説家であるが、批評家たちがいつでも口癖のやうに「彼にはルンペン性があつて、どうもよくない」と眉をしかめてゐるのも思ひ当るふしがないでもない。――しかし、彼はこの寒さに何の気紛《きまぐ》れからして、あんなに物思ひに沈んだ表情でこの地帯を行くのかと、人は問ふかも知れぬ。それは過去をなつかしむ感情に駆られた結果である。と云ふのは、彼はこの街で生れ十二まで育つたのであるが、ほんの三日前、ここで彼を手塩にかけて大きくした母親が急死し、その追憶の念が彼の足を知らぬうちに、こちらへと向けさせたわけである。もとより彼はまだ年少で、自分の激情を制するすべもわきまへぬ男故、要もないかうした夜歩きや感傷癖を許してやつてもよいだらう。
すでに、街から醗酵《はつかう》する特殊な臭ひは聯想作用を起して、彼の胸に種々な過去の情景を浮びあがらせ、彼はそれに簡単に陶
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