合が至極うまいので、この分ではうつら/\と居眠りでも出来さうだ。春とはいひながら、とても快いお天気だなあ!」
「あゝ、あんなに小さくなつてしまつた! ボーフラのやうに小さくなつてしまつた。あいつが、たつた今あんな憎いことを云つて俺をからかつた奴かと思ふと、何だかおかし[#「おかし」に傍点]な気がする。おーい、おーい。」
 だが、もう何の応へもなかつた。私は、飽くまでも未練深く眼をかすめてボーフラの姿を仰いでゐた。
「駄目かなあ!」と私は嘆息を洩した。
「気分だつて紛れるよ、お拵えよ。」
「そんなに六ヶ敷いの? 頭と顔が?」と妻は、其処で私の気分をそれに惑《ま》ぎ込まうと思つたらしく膝を乗り出して私の顔をのぞき込んだ。
「うむ。」と私は、やつと凧のことに心を移したやうにして点頭いた。
「おばあさんが居たら解るんだけれどもね。いゝえ、私にも朧ろ気には解つてゐるんだけれど?」と母も一層の乗気を示して仔細らしく首をひねつた。
「駄目かなあ!」と私は、更に心底からの嘆息を洩した。私の脳裏にはボーフラの影だけがはつきりと印されてゐた。
「記憶! それに数学的の才能がない者には、記憶の見当が違ふので一切役に立たない。」
 母は自身が批難でもされたかのやうに思つて、顔をあかくした。「思ふと、私も上つてゐる小さい凧の姿しか思ひ出せない。」
「だん/\小さくなる。」と私は呟いた。……毛氈の上の私達が、重箱を開いて弁当をつかつてゐると、突然盆地の一隅からワーツといふおだやかならぬ波のやうな鬨の声が捲き起つた。見ると、あげ[#「あげ」に傍点]手の一団がまさしく蜘蛛の子を散らしたやうにパツと飛び散つた。
「喧嘩かな?」
「毎年一度は屹度だ!」
「早く仲裁が入れば[#「入れば」は底本では「入れは」]好いが?」
 私と祖母と母は、同時に斯う云つて箸を置いた。口々に彼等は何事かを叫んでゐるのだが、遠いので意味は解らなかつた。それにしても喧嘩にしては何だか妙だな? と私は思つた。と、見ると彼等は一勢にスタートを切つて此方に駈け出した。
 空には、何の変りもないボーフラがうつら/\と居眠りをしてゐる。
「お母さん、どうしたのでせう?」と母は祖母を振り返つて訊ねた。
「喧嘩かも知れない、立ちのこうかな?」
 間もなく一団の駈け手は、砂を巻いて、滑走する巨大な磁石になつて次々にあたりの群勢を吸ひ込み、最初
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