新聞を買はせにやつた。細君は、電車に乗つて何処とかまで行つて漸く四五日分の新聞を集めて帰つて来た。大火は、友達の家とは方面違ひだつた。日暮里といふのは、仮りに首都を円とすれば、彼の此処が、円の中心をよぎる直線の一端で、他の一端が其処なのである。母は、同じ市外である為に、其処も此処も近処と思つたのである。……彼の幼時、彼の父がアメリカ・ボストンにゐた頃、アメリカ・サンフランシスコに大地震が起つたことが日本の新聞に報ぜられた。その時のことを彼は、二十何年後の今でも好く覚えてゐる。彼は、その時の無智な祖父母を、今でも笑ふことは出来ない。縁側の日向で(時候は忘れたが、何だか冬のやうな気がする)、新聞を眺めてゐた祖父が、
「ヤツ!」と、叫んだ。常々祖父は、安政の地震の怖しさを語つたことがある。その頃アメリカの地理に詳しかつた母がボストンとサンフランシスコとは、日本にして見れば何処から何処位ゐの距離があるなどゝいふことを説明しても、容易に祖父は承知しなかつた。祖父は体格が彼に似て、痩つぽちで、そして有名な憶病者だつた。十六歳の時、御維新の時、箱根の関所をかため、山崎の合戦には刀傷をうけたなどゝいふことを得々として彼に物語つたが、彼は今だにそれは法螺だと思つてゐる。
「なにしろ地つゞきぢやアなア!」
 祖父が斯んな溜息を洩したのを、彼は覚えてゐる。
「だつて安政の地震は関東だけだつたんでせう?」
「ともかく電報を打たう……毛唐人の国のことは解らないからな!」
 祖父と同じやうに彼は、写真でしか見知らない父の安否を気遣つた。
 近火見舞の手紙を受け取つた日に彼は、そんな古いことを一寸思ひ出したり、その手紙を書く前の母と弟の会話などを想像したりした。
 タキノは、何処に住んでも、生れ故郷であつても、己れの現住所を賞めないのが癖だつたが、こんどの所は今迄住んだ何処よりも嫌ひだ、と云つた。こゝに移つた第一日に湯に行つた時に、あたりを眺め、野原に点在する不思議な家屋を眺め、一体あゝいふ家には何んな人々が、何んな風に住んでゐるのか? などゝ訝しがつたのである。西洋人のやうに腕を取り合つて恥づる気色もなく歩いて行く、それでもう相当の年輩の一組の男女が居た。また西洋風の建築を、如何したら最も手軽に、そして見かけだけは飽くまでも高踏的に……などゝ熱心に研究しながら歩いて行く、丁度彼位ゐの年輩の二人
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