ことまで記述してあつた。これを突き付けられて彼等は、唖然とした。気の小さいHは卒倒した。彼等は凡て二週間の停学の上、修身点を零にされた。禁足中、受持監督教師が一度宛家庭訪問に来るのであつた。彼のところには松岡先生が来た。先生は、笑ひながら、
「前日に同じは簡単で好かつたな!」と、云つた。「此の頃こそ前日に同じなのぢやないかね。」
「…………」
「と、なるかも知れんが、考へなければならんのは其処なのぢや、解るかね?」
「はア……」
「普賢経に、六根清浄ヲ楽ミ得ル者当ニ是ノ観ヲ学ブベシとある、ギリシヤの昔から、即ち万物流転の説が立証されてゐる……従令それが石の存在であらうとも刻々に、その周囲に於ては、大気は移る、雲は飛ぶ、霹靂一閃、……風は吹かずとも木の葉は散る……一刻と一刻の相違は非常なものだ、まして我等は石には非ず、眼あり、耳あり、鼻あり、身あり、舌あり、意あり、即ち六根!」
 今迄温顔をたゝへてゐた先生の容貌は、この時屹となつて、
「喜怒相見眼ナリ。」と云つて、人差指で彼の眉を突いた。相当力が入つてゐて、端座をしてゐる彼の体は、先生の指に伴れて一寸後ろに反り、また戻つた。と同時に先生は、
「聴審相続耳ナリ。」と云つて、両方の指の先で彼の耳をつまんで引きあげた。彼は、思はず顔を顰めて、尻を浮せた。
「愛憎香臭鼻ナリ。」と、厳かに続けた先生は、稍興奮のかたちでギユツと彼の鼻をつまんだ。――そして今度は口早く、
「嘗味苦甘舌ナリ。」と、云つて彼の口唇を、たぐるやうに引ツ張つた。彼は、また思はずウツ! と、喉を鳴らし、女の子供が意地悪るの為に憎々顔をする時のやうに頤が前に突きでたが、勿論彼の辛さとテレ臭さと、痴呆的な困惑の表情は、釣針に懸つた魚に違ひなかつた。二ツ三ツ呼吸をつく程の間、先生は、その儘指先きを離さなかつたが(先生の指が煙草臭さかつた。)忽ち、えツ! と肚のあたりに力を込めて、彼の頤を突き反し、
「常審思量意ナリ。」と、怒鳴るやうに云ひ放つたかと見ると、ヤツ! と叫んで彼の胸をドンと打つた。まことにこの時の先生の早業は、一刻前の先生の言葉通り、霹靂一閃で、堂に入つた気合術だつた。
 そこで先生は、程の好い温顔に立ち反つて、お前も馬鹿ではなからうから、これ以上私としては何も云ふことはない、謹慎十四日、静思黙考して、冷浴の時はひたすら六根清浄を唱へ、審さに十四日間
前へ 次へ
全21ページ中10ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
牧野 信一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング