の天気を更に模写して、忽ち豊かな架空日誌を作成したのである。――Aは、様々な材料を集めて、写真入りの日本アルプス登山記を作つた、Bは、函山天幕生活記を捏造した、Cは、漁船に同乗して大島を巡遊するの記、Dは、丹沢山に昆虫採集に赴き山猿に出遇ふの記、フランクリン自叙伝、ナポレオン言行録、ブルターク英雄伝等々の書名ばかりを無暗と列記して、暑中五十日石垣山麓に潜んで、我また英雄を夢見るの記を縷々と叙したEとか、月下熱海街道を駆足して、帰途は一路小田原御幸ヶ浜まで遠泳したといふ「マラソンと遠泳の記」のFとか、Gは、阿未利神社に於て断食七日の記、また、俺は道了山中で狸と格闘するの記を書かうか、などゝ云ひ出して、それは余り嘘らしくてバレてしまふぞ、と慴されて頭をかいて引きさがつたHもあつた。
 だが彼には、一つもさういふ名案が浮ばなかつた。そしてやつと書きあげた何日分は、それが若し真実であつたならば、修身点は勿論甲上、級長の位置をも奪ふに足るべき温良、忠実な記を作成したのである。一字書くと、松岡先生の顔が浮び、一行すゝむと怖ろしい生徒監の姿が見えたり、そして自分は母に対して何といふ酷い不孝者なのだらう、などゝ思つて情けなくなつたり、無味な虚文は立所に行き詰つたりしながら、しどろもどろに、苦し紛れに背すじに汗を流して書いたのである。――如何にも家庭では、保護者の言に忠実で、専念修養を怠らぬ素振りを多く香はせたのであるが、それでも同じく捏造であるにせよ、そんな空想は思ひも及ばないのであるが、丹沢山で山猿に出遇ふの記等々のやうな柄でもない望みよりは、これは悉く自分の生活の極端な反意語を叙せば足るのであつたから、空々しい想像よりは楽であり、自分に近い方便だつた。
 で一日一日の違ひと云へば、で仕方がなく、七時起床と誌した翌日は(校則では五時起床でなければならなかつた、だが、さう五時五時とせずに、稀には七時も好いだらう。)――五時三十分としたり、またその次には正五時起床が三四日も続き、そしてまた――昨日は遠泳を行ひたる為に、今朝は思はず寝過して、ハツと気付いて枕頭の眼醒時計を見れば早や七時十分過ぎ、前庭に旭光みなぎる、我は勢ひ好く飛び起き、井戸側に走り常の如く冷水浴五度、後午近くまで数学を解きたり、されど七時過ぎの冷水浴は、水温生ぬるく心神に左まで効果なきことを悟りたれば、明朝よりは、断乎
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