つたんだね。」
「僕、新聞記者は嫌ひになつてしまつたからさ。」
「ぢや、何になるんだ。」
「来年あたり欧洲へでも行きたい。」彼はてれ臭くなつて出放題を云つた。
「一二度行つて来るのも好からう。」父は常に自分が外国で永く暮したことを鼻にかけて、こんな話になるとワザとらしい淡々さを示すのだつた。自分は東京へ行くのさへ億劫がる癖に。「俺も来年は一寸行つて来やうかな。」
 彼は、わざ/\同人連中を迎へに東京へ出かけた。汽車賃がかゝるから厭だと云つて半分の者は、いざとなると止めてしまつた。残りの五六人が来た。その時周子は、河原や石黒といふ名前を知つたのだ。父は、そんな[#「そんな」に傍点]ことは明らかにせずにお蝶の家の方に招待しやうぢやないかと云つたが、彼は、余り打ち溶けてゐない友達だつたから遠慮した。その頃彼は海へ近い方に、独りで勉強と称して新しい家を占めてゐたので、其処に泊つて貰ふことにした。
「借金をしたつていゝから、大いにやつてくれ。」人を招くことの好きな父は、調子づいて、母に厭な顔をされた。
 毎月の同人雑誌に出した創作の批評をする会合なのだ。会合の宿を一度も彼はしなかつたので、厭味を云はれたこともある。六七人来た。彼等と酒を飲んだのは、彼は始めてだつた。その晩は「批評会」は止めようと、彼等の一人が云つた。
 彼等は、直ぐに酔つた。彼は、珍らしいことには何時までも酔はなかつた。彼が好む学生気分の少しもない連中で、「俺はボーナスを幾ら貰ふ」とか「扇風機を買はうと思つてゐる」とか、また「日本の文壇なんて相手にしまいぜ」とか、主に彼等はその場限りの話に打ち興じてゐた。その最中に、すつと下手の唐紙が開くと、そこに羽織袴の父が、かしこまつて一礼してゐた。彼は、ハツと胸を衝かれた思ひがした。
「僕、△△新聞の斎藤茂三郎。」少ばかり酔つたひとりがさう云ひながら、父の傍へ行つて、
「あなたがタキノのお父さんですか、お父さんとは見へませんなア。」
「どうして袴なんかはいて来たの? 何処かの帰り?」彼は赤い顔をして、そつと父にさゝやいた。誰が命じたのか彼は知らなかつたが、父の会席膳も用意されて来た。
「タキノも東京へ来んけりや駄目ですぜエ、こんな田舎に引ツ込んでゐちや……」
「どうぞ、よろしく。」
「田舎も稀には好いですがなア、血気の青年が親の傍に居るなんて……」
「さうですとも/\。」と父は快げに賛同した。「何とか使ひ道はないものですか?」
「僕の社に世話をしませうか、僕は現在では議会方面を担任してゐますが、もう一人や二人は若い記者が必要なんですがね……」
「うむ、そりやいゝですなア、男は政治方面に入り込まなければ嘘です。」
「帰つたら早速取り計ひませう。」
 彼は、凝ツとして其処に坐つてゐられない気がした。親父が子供のことを、何分よろしく――なんて、さぞ/\皆な肚のうちで笑つてゐることだらう。
「この土地はこれで花柳界の方は仲々……ださうですな、社の連中の噂にも稀には出ますよ。」
「とても……」さう云つて父は一寸顔を赤くしたが、幾らか酒が回つてゐるらしく急に元気な声を挙げて「どうです諸君! 出かけて飲まうぢやありませんか……」などと云つた。
「よう、よう、賛成/\。僕らはもう学生ぢやないですからなア。」
「僕ア……」と彼の父も云つた。「頭はこう禿げてゐるが……」
「いよう、タキノの親父は素的だなア……」
 斎藤は、見るからに上べの冷笑を浮べて、からかつた。
 父は彼に、耳打ちをして、何故こゝにもお酌を呼ばないかと詰つた。彼は意地悪く聞へぬ振りをしてゐた。――父は彼に、厳しく促されて、挨拶だけ済すと、待せてあつた俥で帰つて行つた。「あとからお蝶の方へ来いよ、お蝶の方へ。」そんなことを、玄関に出た時まで彼に伝へた。父の俥の音が消ゆると、一同はドツと笑ひ声を挙げた。
 彼等が帰つた後も、晩酌の時になると父は屡々嬉しさうに彼等の噂をした。斎藤からはその後何の返事もなかつたが、彼は父にはさうは云はなかつた。その後たつた一度東京で彼等に会つたが、誰の口からも一言も小田原の話は出ないので、彼は寧ろホツとした。彼は、父が死んだ時、友達のうちで父を知つてゐるのは彼等だけだつたが、誰にも通知は出さなかつた。
「自家《うち》の親類は皆な薄情だから、俺に若しものことがあると困るのは貴様だけだぞ。どんな相談相手だつて自家にはないよ……」
 父は、よくそんなことを云つて彼に厭な思ひをさせた。

[#5字下げ]六[#「六」は中見出し]

「貴様などは長男の資格がないんだ、親不孝奴! 親の葬式の始末も出来ない癖に……」
 清親はさう云つて一気に彼を圧倒しようとした。
「俺が死んだつて、後の始末なんて誰にもして貰ひたくないツて、――」彼は胸が涙ぐましく詰つて、危く清親に不覚の
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