なければ不首尾になりさうで悪口を云ふ傾きでもあつた。然し、面白くはあつたが、彼の人物を好いてゐないのは確かでもあつた。
「屹度もう居眠りがはぢまつてゐますよ。」
と彼は私をそゝのかすのであつた。私は、空呆けてはゐたものゝ内心彼の、その勧誘を期待してゐるのであつた。そつと跫音を忍ばせて、土蔵寄りの蒲団部屋を窺ふと、大概は二人か三人の若い女中が居眠りどころか前後不覚に寝倒れて居た。激しい労働の疲れで、熟睡を盗んでゐる者の、仮の寝姿は、わずかに廊下のランプに明るんでゐる障子の内で蒲団の山々の合間に、恰度「波の戯れ」と題するベツクリンの作画に見るかのやうな怪奇美に溢れてゐた。否、単に戦慄すべき醜悪と云ふべきが至当であつたらう。私は絵草紙の中の惨憺たる殺人の光景を眼のあたりにする大そうな滑稽感で、声でもあげておどろかしてやらうとすると、岩吉の八ツ手のやうな掌が私の鼻と口をおさへた。
二
小田原を出発する私達は主に明方の一番車であつたが、停車場の前の入木亭といふ待合茶屋へ乗り込んで、天候の次第を待たなければならなかつた。一番の発車時刻が三時間も五時間も遅れて終ひに翌日延になることも珍らしくなかつた。わずかの雨でも線路が滑つて屡々人車は断崖から転落した。
熱海まで無事に走つて四時間なのだが、大概爺様が途中で痔病が起り、真鶴で降りた。石倉八郎丸といふ海辺寄りの大きな漁家に立寄つて、息を衝いた。どういふわけか知らないが私は一歳から三歳までの間この家で育てられたといふことを聞いた。非常に肥つた女房が、何年か後私が一二年の小さな中学生になつた頃でも私を見出す毎に、まあ/\と云つて抱きあげようとした。私より一つ二つ齢上のトリといふ娘がゐて、私が学校の課題のための海藻採集に赴くとトリは烏帽子岩へ案内して呉れ、素裸になつて海中に飛び込んだ。飛び込む瞬間にはトリは、岩の先へ駆け出して着物を脱ぎ棄てると後ろも見ずに水の中へ姿を消したが、やがて両手に栄螺や藻をつかんで顔を現すと、にこ/\と笑ひながら獲物を投げ出し、
「こつちを向いてゐちや、いけネエよ。オラ、あがれやしないぢやないか。」
と手を振つた。後にトリは、熱海のあの[#「あの」に傍点]宿屋に奉公した。その頃はもう祖父も居らず私達は熱海へ赴いても滅多に宿屋へは泊らなかつたけれど、夜更けに岩吉が千鳥足か何かで戻つて来ると、私
前へ
次へ
全17ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
牧野 信一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング