ようになつたりして、弥々私はお喋舌りになり、自転車をそろへてピクニツクに赴いたり、老若入れ交つてテニスに耽つたりして、間もなく中学を終へようとする頃になると、枳殻の生垣にとり巻かれた屋敷の隅々に測量の杭などが打たれ出した。熱海線の敷設がいよ/\開始されたのである。土地の売買する周旋人見たいな人物が、日毎におし寄せて阿父をとらへて、
「大したもんですな……」
 と云つた。彼の卓子の上からは稍ともすればそれまで愛読してゐた旅行小説の叢書や鳥類剥製の道具やらが影をひそめて、測量図とか法律の本で一杯になつた。それと同時に彼の面上からは、今迄私を相手に冒険談などを聴かせて夜の更けるのも忘れた折の鷹揚な影も消え失せて、訪客ばかりを相手に厭に、深刻気《グルウミイ》な眼を据えて、万円とか幾十万円とかといふ話題に熱を吹いてゐた。つまり昔は一銭五厘位ひで買つたものであり今迄は売るともなれば二円でも三円でも買手もなかつたといふ屋敷や、真鶴の田畑や、熱海の山林などが、一坪の価が百円、二百円と、日増しに暴騰するのであつた。
「僕は決して手離しませんよ。自分としてのいろ/\の計画があるんだから……」
 別の人からの注意で、それらの土地をこのまゝ十年も持ちつゞけて、やがて次々の駅に停車場が出来るとなれば、労なくして一躍大した富豪になるであらうとか、勧業銀行から金を借りて熱海海岸の埋立事業を起さうとか、其他枚挙にも遑もない計画が持ち込まれてゐるので、いろ/\な買手が現れても決してその手には乗らなかつた。
「いよ/\、停車場が出来るとなれば――」とか「小田原の家の竹藪の真ん中が、ステーシヨンの正面になると決つた。」とか「熱海まで延びて、更にトンネルが抜ける段になると……」とか、さういふ類ひの彼の興奮の声を私達は何百辺聞かされたことであらう。そして、書類でふくらんだ弁護士でもが持ちさうな手鞄を抱へて、何処へ行くのか知らないが俥ばかりを乗り廻した。往来で出遇つた時など、思はず私が以前のやうに手をあげて、ハロウ……と呼びかけても、今では彼はニコリともせず棒切れでも呑んでゐる見たいにしやちこ張つて、まん丸な眼玉を極めて真面目さうにぎよろりと輝やかせてゐるだけだつた。私は、決して故意に滑稽なる形容辞を弄するわけではない。余程真に迫つた矛盾の痛手を覚えさせられぬ限り、誰が親愛なる父の姿を漫画に喩える態の悲惨を敢
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