るやうな嬉しさを夢想して、にやにやと笑ひながら不熱心な追求をしました。
「純ちやんなんかも――せめて趣味だけは持つやうにした方が好いわよ。」
「だからさ……」
「妾、文学の趣味のないやうな野蛮人は……」
「解つたよ。」
仮令徒らであつても私が、そんなに従順なので照子は、何時の間にか一層得意になつて、三つ四つ続けて歌留多を読むやうな口調で朗吟しました。私は腕組をして、怖ろしく尤もらしい顔付をしてゐますが、観賞どころか、聴いてもゐません。と云うて別のことを考へてゐたのでもありません。
「好いでせう!」
初めて照子は、甘えるやうな笑ひを浮べて私の眼を見ました。
「もう一度その終ひの奴を云つて見てお呉れ!」と私は、空々しく、熱心気に訊き返したり、「なるほどね。」とか、「ふうむ!」とか「うまいな。」などとさへ、まことしやかに嘆賞しました。
「純ちやんも作つて御覧な、何でもね、自分の思つたり感じたりしたことを偽らずに、素直に……調子さへ解れば好いのよ。」
さう云はれると私は、直ぐに歌のことを考へました。――恋のことが好からう、と思ひました。で私は努めて或る恋情に浸らうとしましたが、どうもはつきり「感ずること」「思ふこと」がありません。……照子の横顔を凝つと眺めて彼女に対する「恋情」を凝集させようとしましたが、何としても心が一杯になりません。東京に居る間に、堪らなく照子のことが想はれて到底凝つとしては居られず、慌てゝなど帰つて来た自分が何だか別な者で、可笑しい気がしました。……「なアんだ、こんな奴。」照子の横顔を眺めてゐた私にはそんな心だけしかありません。
「あゝ、妾またひとつ出来たわ。帰つて短冊に書かうや、純ちやんもお帰りな?」
「先にお帰りよ。」
私は、不愉快になつてゐたのです。ビクともしない、つまらない、といふ顔で凝つと海の上を眺めてゐました。鴎が四羽ばかりゆるやかに丁度私の眼の前で大きな円を描いて舞つてゐました。何れか一羽は代る代るおくれます。おくれても、決して翼の動かし工合は速くしないにも拘らず、間もなく仲間の群と一緒になつて何れが今おくれた鳥なのか見定めがつかなくなります。
「だつてもう直ぐに御飯だぜ。」
「すぐに帰るよ。」
照子は「これから手紋をひとつ書いて……」などゝ呟き、よいしよツ! と云つて砂を払つて立ちあがると、私を見降ろして、
「寂しさうね、ホツホツホツ。」と、からかひました。
「まア何とでも思つてゐるが好いさ……ところでもう来る時分なんだがな。」
「嘘つき、何アんだ、千代子なんて! お止めなさいよ田舎芸者なんて!」
「もう来る時分なんだがな、兎も角照ちやんは早くお帰りよ……邪魔だぜ。」
縦令それが手酷い冷笑でも照子が、何となく肯定してかゝつたゞけで私は、もういくらかの嬉しさを覚えたのです。いつも私は、根もない千代子のことを照子に意味あり気に仄めかすのです。――斯うなつて見れば、私にとつては照子だつて千代子だつて大した差異もないのです。
照子は「ちやんちやら可笑しいや。」などと此辺で用ひる野卑な冷笑の言葉をワザと叫んで、頭の櫛を気にしながらさつさと歩き出しました。私は、力を込めて照子を軽蔑しながら、女の素足に履いた草履の踵が砂をはね上げてヒタヒタと鳴るのを眺めました。
勿論千代子がこゝに来ることなどは、私は夢にも思つてはゐませんでしたのに、如何したことかそれから間もなく千代子が向方の渚を伝つて来るのを見て、私は唖然としました。
「昨夜あんなことを云つたが、まさかほんとには思つてゐなかつた。」
前の晩私は、古い友達に誘はれて酒を飲みに行きました。千代子の家は照子の家のすぐ近所なので彼女がお酌の頃から私は知つてゐました。座敷で遇つたのは初めてなのですが、常々彼女と往来などで出遇ひ、秘かに私は思ひを寄せてゐたのです。――前の晩私は他愛もなく酔つぱらつて千代子に、あしたの朝浜へ出かけて来ないか、などと、この辺の悪青年が云ふ言葉を真似たのです。無論ほんの座興であつたにも拘らずそれを真にうけて女の来るのを待つてゐたと思はれては堪らない――さう思つて私は心底から慄然としたのです。実際私だつて、今彼女が来るまでは前の晩にそんなことを云つたのすら忘れてゐました。たゞ珍らしく早起きしたので、フラリと浜へ降りて来たまでのことなのです。
「いゝえ!。」と彼女も妙にテレ臭さうに云ひました。「妾此頃ね、少し体の工合が悪くて毎朝来るのがお勤めなのよ……」
「僕も、僕も、……運動で……」
私は極めて不自然に、よそ/\しく頓興な声で出放題を云ひ放ちました。……だが、今度こそは照子の奴が見てゐれば、などゝいふ気がして、同時に己れの浅猿《あさま》しさを喞ちました。
「あなた昨夜、随分酔つてゐらしたわね。」
「さうかしら? あ、さうだ、
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