んな言葉づかひをしなければならなくなつたのだらう、何故太一郎ばかりが独り奇妙な傲慢の館に立てこもつて仲間脱れになつてゐるのだらう――俺は無教育の漁夫なために、斯んな他合もない意久地無さに襲はれるのか知ら。――然し七郎は、たつた独りで小舟に乗つて何うしてもつかまへることが出来ない過ぎ去つた日の夢を追ひかけてゐる見たいな、取りとめもない雲のやうな寂しさに襲はれてゐた。漁夫である自分が、無性に悲しくなつて来たりするのであつた。理屈は、さつぱり解らなかつた。
「馬鹿な、今更武一に訊いたつて何うなるものかね。――それよりか、八重を奉公に寄せば此方ぢや三年分の給料を先に払ふといふ条件つきなんだよ。」
 奉公だけなら恥ではない、武一に迷惑が掛つてゐるのなら一層太一郎の申出を享け容れてしまはうか? ――七郎は、簡単に左う思つたが、渚で洗はれてゐるラツキーを見ると、まるで馬と妹とを取り換へる見たいな矛盾を覚へ、男はず[#「男はず」はママ]屹つと太一郎の顔を睨め続けるより他に言葉を失つた。
「考へるところはなからうが、今の君の立場として見れば……。武一に相談して来るなんて、そんな君、意久地の無い話ツてあるものかね。それに君は今や塚本家の当主なんだぜ。主人公が自分の家の負債に就いてさつぱり無我夢中だなんて、そんな事が他人に話せる類ひのものだらうか、君の考へひとつで何うにだつて整理のつくことだし、加《おま》けに相手が僕の場合なんだから色々と好都合ぢやないか。それよりも君、うか/\してゐると法律上厄介な話にもなるからな!」
 法学士なんていふ肩書を誇示する太一郎に斯んなことを云はれると七郎は、何だか得体の知れない怖ろしい影がいつの間にか自分の後から翼を拡げて忍び寄つてゐるかのやうな不安に襲はれた。
「で、八重が君の家へ奉公へ行きさへすれば何も彼も綺麗になるといふわけなんだね。」
「さうさ、たゞの奉公だよ。何も妾に寄せなんて云ふわけではない。君の親父は何か感違ひして、やがて俺の嫁にでもするのか、それでは境遇が違ひ過ぎるからなんて恐縮してゐるんだが、尤もな話だよ、冗談ぢやない、親父こそ自惚れだ、誰が八重となんか――。たゞさうでもしなければ君の家の格構がつくまいと此方は心配して、寧ろ余計な世話を焼いてゐるまでのことさ。」
「……有り難う。だが、その話は今此処で決めなければならないほど、その期間《き
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