は君も知つてゐる大学生のHだよ。僕等と一処に此処までも来てゐるんだ。Hの奴、この時、あんな踊り位ひ俺だつて出来るに違ひない、キヤムプ・フアイアのまはりで俺達がやるトラバトウレと大同小異らしいぢやないか、演つて見よう! と調子に乗つて無造作に仲間入りしたのであるが、一向に調子が合はず一回りもしないうちに忽ちあかくなつて脱け出るべく余儀なくされた仕末さ。写真の様子でも解るだらう、あの息苦しくテレくさ気に切端詰つたらしい気の毒さうな姿が!
(7)の写真は、丘の芝原に寝て僕が読書してゐるところを不知の間に写されたものだ。読んでゐるのは文芸雑誌だ。インヂアンが山の上で文芸雑誌を読んでゐるなんて突拍子もない光景だが、天気の好い日は此処に斯うしてゐると、僕の経験範囲の凡ゆる室内は快に於て比ぶべきもないのだ。この通信も大方此処で斯うして書いたんだよ。冠だけは日除のために(好適)斯う、被つてゐるが上半身は全裸ではないか。――次の写真(8)は、EとHとワイフとが、午飯を担いで俺の在所を探しまはつてゐるところさ、俺が見つかり次第其場にデインナー・パアテイを開くわけさ。ワイフが口にくわへてゐるのは呼子のサイレンだよ。どうかすると谷を越へた向方の山蔭へなど書斎を移してゐる俺の注意を呼びさますために、丘の頂きに立ちあがつて信号をするのである。何しろ斯んな鍋や飯盒をぶらさげて谷を渡つたり、丘を越へたりするのでは堪らないから、サイレンを聞いた時には、此方でも立ちあがつて音響の方へ駆け出すべき約束なのである。
 それはさうと、今時は麗らかな日ばかりが打ち続き、まだ/\爬虫類も出没しないし、間もなくすたつてしまふであらう斯の珍奇な風俗が盛んの間に幾分の好奇心を持つて訪れて来ないか。僕は僕で、そちらの流行に就いて君に依り教示を得なければ居られない多くのものがあるだらうから――その時は新型洋服のカタログと二三本の新柄ネキタイと鏡を一つもつて来て呉れ、その上で僕等は新しい着物に着換へ、何ヶ月振りかで鏡に向ひ、粋なネキタイでも結んで、君と共に此処を引きあげるつもりだから。
 やあ、サイレンの音が響いて来るよ。――さつきから鉄砲の音が一つも鳴らぬようだつたから(斯うしてゐても僕は、何となくそれに気をつけてゐるんだぜ。)今日の午飯は、おそらくまた肉類なしの、芋の主食であらうが、斯うしてはゐられないから向方の丘まで駈出して行く、空腹だよ――さよなら。



底本:「牧野信一全集第三巻」筑摩書房
   2002(平成14)年5月20日初版第1刷発行
底本の親本:「西部劇通信」春陽堂
   1930(昭和5)年11月22日
初出:「時事新報 第一六七八三号〜第一六七八七号」(第一六七八六号は休載)
   1930(昭和5)年3月5〜9日(8日は休載)
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:宮元淳一
校正:砂場清隆
2008年5月15日作成
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