ゝ、おそらく行列は鶯の声に酔つてゐるのだらう、ぽか/\と、駒の蹄の音ばかりが長閑にそろうてゐるばかりで一向脚なみは速まらなかつた。
 いよいよ都をさして旅立つ僕等夫妻を送る僕の森の友達連である。僕等は森に小屋を建てアメリカ土人の服を着て、この冬を森で過したのである。鳥を打ち、魚を釣り、薪をつくり、またある時は掠奪を縦《ほしいまゝ》にし、米を得、酒を得て、健やかな命を保つて来た。空と森と小川と馬と、そして居酒屋の出来事と――それが僕等の世界であつた。その他に何んなことが世界に起りつゝあるか、僕等は知らなかつた。
 峠を越えると一行は川に沿つた堤を静かに駆けて村に達した。
「蜜柑問屋の自動車は十日も前にパンクしたまゝ使はずにゐるが途中で二三度空気を入れたら停車場位までは使へるだらうツてさ。」
「その代り、ドライバアは、そいつを好く心得た上で、最も技巧的に不思議なスピードを出さなければならないだらうツてさ。」
 水車小屋の若者が、不安な面もちを現して行列に復命した。
「その腕前だけは、たしかだ!」
 大学生である弟が、唯一の得意の腕を突き出して、
「兄さん!」
 と唸つた。
「タバン・イダーリアの妙ちやんに手伝つてもらつて――」
 と僕は妻を馬から手をとつて降ろしながら命令した。「髪を梳き、白粉もつけ、踵の高い靴と穿き換へておいで。その間に、大ちやんが馬を飛ばせて町の金貸者にあづけてある首飾りを持つて来て呉れるさうだから。」
「うれしいやうな、悲しいやうな……」
 と妻は微笑を湛へて胸をおさへた。
「早く/\、馬鹿!」
 僕は叱つた。そして僕は、タバンのテーブルで、東京の井伏へ宛てゝ約束のハガキを書いた。
「これから出発する(Mr & Mrs)。あしたの午後レインボー・グリルで待つ。今度は決して酒を飲まぬ。」

          *

 僕は指を挙げてタキシイを止める。速い! 速い!
「蜜柑問屋のフオードよりは具合が好いね。」
「ほんとうにね。あたし、ルイズ・ブルツクス大好き。他に何処かで演つてゐないかしら?」
「今日は鈴木に案内してもらつてカーピ・オペラを見物しよう。ミセス・ヘンキナの奇麗な声に酔はう。」
「封切される時には、あんなのはカツトされてしまふんでせうね。惜いわね。」
「試写なんていふものをはじめて見たらう。」
「淪落の女――か、あたし面白かつたわ。あんな風な酒場《バアー》や、ダンス・ホールが東京にもあるかしら!」
「無論あるだらうよ。」
「伴れてつてよ。」
「よろしい――」
 行先きのビルヂングに着く。
「おい/\こつちだ。梯子段なんてあがるんぢやないよ。このボタンをおすとエレベータアが降りて来るんだよ。」
「六階へ!」
「しばらく、K・M君。これからオペラを見に一緒に行かないか。それから……」
「何時までこちらに居るの?」
「面白いな、東京は――。このまゝこちらに住んでしまふのだ。」
「賛成だ。マダムは?」
「あたしも――」
 帝劇の廊下で僕の妻は煙草を喫してゐる。これが昨日まで森の小屋でまつくろになつて飯を炊いてゐた人かと思ふと、僕は眼をしばたゝき、軽い皮肉を感ずる。
「鱒二さん達が、日本橋のG――何とかといふ、何でもその名前はイタリア語か何かで、細君がブツブツ云ふといふほどの意味なさうだが――そこで待つてゐるさうだから、オペラはこれ位にして、駆けつけて見よう。――大丈夫だ、決して酔はぬ。」
「それから、あなたと二人でダンス場へ行きませう。」
「その帰りに――だけど、そいつは、ちよつとの間皆に内緒にしておこうぢやないか、おれ達のダンスはきつと時代おくれのものに違ひないだらうから、二三個所見物した後でないとおれは気恥かしいんだよ。」
「おすしを食べたい。」
「ではあの屋台店で食べよう。」「――ストツプ――タキシー。」
「ベレエとライタアを買つて下さいな。」
「よし/\。――一番安いのはいくら位だらう。」
 酒場《バア》!
「まあ狭くて、薄ツ暗いわね。顔も碌々見えやしないぢやないの!」
「山の連中に手紙を書かなければならないんだが、何と書かうかしら、何だかおれは彼等が憤《おこ》つてゐやしないかといふやうな気がしてゐるんだが!」
「憤つたつて仕様がないわ。」
「でも――明日でも一寸帰つて来ようかしら。」
「帰りたいの?」
「あのね。」
 と僕は妻の耳にさゝやいた。「昨夜僕は馬《ドリアン》の夢を見たんだが、連中が居酒屋で入りびたつて、ドリアンが空腹に堪へ兼ねて、食つてしまふぞ/\と叫びながら、鶯を追うて山野を駆け廻つてゐる……」
「センチ……」
 とほき出して妻は横を向いた。



底本:「牧野信一全集第四巻」筑摩書房
   2002(平成14)年6月20日初版第1刷発行
底本の親本:「西部劇通信」春陽堂
   1930
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