利くのをさもさも惜しさうにぴつたりと顔を砂に埋めた儘性急に説明した。――あの二人の娘達が脱衣場の中で、着物を脱いで水着を着終る迄の悉くの動作姿態を細大洩らさず沁々と想像するのだ――といふ話だつた。
「只今帯に手が懸り、着物に……」
「うむ。」「待つてましたア。」静かな吐息を窺つて各々そんな半畳を矢継ばやに投かけた。
「叱ツ、専念に/\。」と野島は重く退けて、耳を圧へて凝と五体の力を忍ばせた。そして「木村が一番参つてゐるんだよ。」と純吉にそつと囁いた。木村は耳の側まで顔を埋めてゐた。
純吉も命ぜられたまゝに、凝と熱い砂に顔を埋めた。すると彼の眼蓋の裏には、みつ子の古い幻が彷彿として浮びあがつた。――彼は深い溜息をした。――だがまもなく彼の五体は幻とゝもに熱い砂地に溶け込んで、彼は恍惚たる夢心地に堕ちて行つた。さつきの木村の独白が、はるか微かな耳に、麗朗と反響《こだま》してゐるばかりだつた。
[#5字下げ]三[#「三」は中見出し]
再び野島の合図で、円陣は一斉に乱れると各々まつしぐらに水を眼がけて駈けて行つた。二人の美しい娘達は既に彼等の讚美の声を意識してゐるらしく、嬉々としながら仰山に熱い砂を踏んで渚へ走つて行つた。――男達は忽ち波の彼方に整列して、ワイワイと騒ぎながら見ごとな抜手を切つて進んでゐた。
純吉はひとり砂地に残つて、羨ましく彼等の運動を眺めてゐた。彼は夥しい因循な気持に襲はれてゐた。含羞まずに、一投足の労も執れぬ気がして、思はず亀の子やうに首を縮めた。――自分がたつた今罵倒したあの厭な文学々生が取りも直さず自分の姿である気がして、凝としても居れなかつた。もう明日から海へも来ないぞ――さう呟いて彼は自分の懶い書斎を想つて、変な安らかさを感じた。
「おーい、おーい。」
沖の連中は切《しき》りに手を挙げて純吉を呼んだ。その度に彼は身がすくんだ。あまり彼等が呼ぶもので水際の女が、純吉の方を振返つた。――純吉は、ふらふらと立ちあがつた。そして痩躯を躍らせて、その時稍大きな波が持ちあがつて渚の連中がワツと逃出したところを、彼はこゝぞとばかりに突進した、が忽ち波にくる/\と捲かれて、頭もろ共イヤといふ程砂地に叩きつけられた。
だが彼は、直ぐにはね起きて、次に持ちあがつた大波の底を目がけて、ピヨンと水の中へもぐり込んだ。もぐつた儘はるか波向うに進まうと思つた。
彼は――水の中で眼をぱつちりと視開いた。
水の底が青白く、小石が真珠のやうに光つて見えた。――やらうと思へば俺だつて快活な業が出来るさ、家に居るのは一層鬱陶しいから明日も矢張りまた出かけて来ようかな――彼はさう思つた。
もう好からうと思つて彼は、首を振つて水の上に顔を現した。――木村たちは、到底彼には行けないずつと遠くの沖を合唱しながら泳いでゐた。振り返つて見ると、彼は波元から二間も先へ進んではゐなかつた。
[#地から1字上げ](大正十三年三月)
底本:「牧野信一全集第二巻」筑摩書房
2002(平成14)年3月24日初版第1刷
底本の親本:「父を売る子」新潮社
1924(大正13)年8月6日発行
初出:「サンデー毎日 第三巻第二十九号」大阪毎日新聞社
1924(大正13)年7月1日発行
入力:宮元淳一
校正:門田裕志
2010年5月23日作成
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