見えた。青い瞳とローマ型の鼻を持ち、がつちりと結んだ唇の――横顔が、無言のまゝ画面を視詰めてゐた。
「余程僕の仕事に深い理解と同情を持つて呉れる友達にでなければ頼むわけには行かないのだが――」
G氏は、この仕事に関する様々な抱負や経験や実験の説明をした後に、臆病な調子でそんなことを云つた。――「君も近いうちに、このモデルになつて呉れないか。僕は撮影技術のことばかりでなく、様々な骨格の運動状態を撮らなければならないのだ。例へば、貴婦人の動作、運動家の姿勢、重い荷物を担ぐ人、踊る人……と、それはもう数限りはない。――やがて僕は、この撮映機が僕の期するやうな完成に至つた時には、僕は白昼凡ゆる場所にロケーシヨンに出かけて、一切の生物の運動上の骨格状態を撮映しようといふ念願を持つてゐる。――だが今のところは、モデルに承諾を乞ふた上でなければ事が運べぬといふ不完全な機械だから――」
私は、スクリーンの上で、しきりにスパルタ風の体操の模範運動を試みてゐる不気味な人体と、技士をつとめてゐる娘とを見くらべながら、
「研究台に昇つても関はないが、僕は何の特殊な運動術を持つてゐるわけでもないからね――」と云つた。
「フエンシングは何うなの?」
「それはおそらく君の方が、レギユラアな型であらう。」
「それはさうかも知れぬ。では僕の希望を云ふが、誤解しないで呉れ給へ。」
私の手を握つたG氏の腕は微かな震へを帯びてゐた。そして酷く、口ごもりながら云つた。
「酔漢の骨格の運動状態を――詳さな、標本に撮りたいのだが――」
三
狭量な私は、憤つとしてしまつた。
その後私はG氏に会ふ機会を失つてゐる。あの時も私は酔つてG氏に伴はれ、また帰途も同じ状態だつたので、未だに私はG氏の家が何処に在るのか知らぬのである。
G氏からの手紙は、相変らず横浜のアドレスで来てゐる。そして私は、今、大森山王に家を借りて住んでゐる。はじめてG氏に遇つた時に、妻がG氏にすゝめられたといふ話を機縁にして私達は、この辺に家を借りたのである。
この辺は外国人の住宅が殊の外多い。私は妻と共に時折散歩に出かけて、妻にG氏の家らしい道の記憶を訊ねるのであつたが、決して妻も思ひ出せぬと首を傾げるばかりである。
私は、あの晩のことを未だ妻に話してはなかつたが、そして自分がモデルになることは断然厭なのであるが、G氏のあの仕事に対して日増に熱烈な興味を増しつゝあるのであつた。その上私は、G氏も亦私にとつては芸術上の得難き友であるといふ思ひに打たれてゐるのであつた。
そして私は、是非ともG氏をモデルにした小説を書きたいと憧れはじめてゐるのである。それには、何うしても更に、少くとも四五回は、白面で、G氏のスタデイオを訪れなければならない。私は、G氏をモデルにすることを、G氏の承諾を得た上で、彼に訊ねなければならない数々の疑問を持つてゐる。G氏の承諾を得なければ描くことの出来ぬ場面だからである。
だがG氏は果して私の申出を諾《き》いて呉れるであらうか。何故なら私が彼に訊ねることは学術上のことは別として、余りにプライべイトな話に立ち至るであらうから。
「若し君が僕の申し出を諾いて呉れるならば、僕も亦――」とG氏は、若しや交換条件を持出しはしなからうか。それを思ふと私は深い嘆息を吐かずには居られぬのであるが、
「止むなくば――」とさへ思つてゐるのである。――空と共に酒の香り益々高き秋たけなはなる今日此頃私は、余裕さへあれば嘗てG氏に出遇つた酒場に赴いては、空しく酔ふて帰路を踏んでゐる。そして私は、自分の、その姿の、フラ/\とよろめきながら首を振つたり、手をあげたりして歩く、スクリーンに映し出た時の、骨格の運動を想像すると、稍ともすれば酔ひを醒まされ勝ちになる。酔つてゐる間の自分の運動状態などは知る由もないが常々私は周囲の者から、それはたしかに異なものである――といふ嘲笑を買ふてゐるのだ。その度毎に私は、今後酔はぬことを誓ふのである。あゝ、酒は止むべきだ。
だが私は一日も早くG氏に廻り遇はなければならない。
「デビルズ・デイクシヨナリイ」「ユニバーサル・マジシアンス・ブツク」「ヒストリイ・オヴ・デビルズ」
この三冊の本は、あの時G氏が、両側が一杯書物で埋つてゐる廊下の書架から、「無選択で――」と云つて取り出して、私に呉れた本であるが、G氏に遇へる時まで酒を止めて、これでも読んでゐようかしら――などゝ思つてゐる。
底本:「牧野信一全集第四巻」筑摩書房
2002(平成14)年6月20日初版第1刷発行
底本の親本:「読売新聞」読売新聞社
1930(昭和5)年11月13日〜15日
初出:「読売新聞」読売新聞社
1930(昭和5)年11月13日〜15日
入力:宮元淳
前へ
次へ
全3ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
牧野 信一 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング