四〇年版ヨハンガストなる一|神学者《クリスチヤン》の手記に、
「余がクラコウ大学に於て教鞭を執りし頃、クリンドリング生れの一不良学生に悩まされしが、彼は常々学業を疎かにして魔術にのみ現を抜かし、遂に放校の憂き目に遇ひしが、去るに望みて彼の言葉を残したるなり。後にこの言葉を友人フアウスタスに告げると、彼は、至言なり……と膝を打ち、翌朝も待たずに放浪の旅に出発せり。」
などゝもあつた。
「メフイストフエレス――(メ)は、ラテン語の[#ここから横組み]“In”[#ここで横組み終わり]に相当するギリシヤ語にて、否定の義、(フイス)は同じく、光の義、(フエレス)は、愛の義――即ち、光りと愛を打ち消す者――悪魔の同意語なり。メフイストフエレスなる名称は、十六世紀後半に出版されたるヨハネス・スパイスなる伝奇作家の書中に初めて登用されたる者なり。」
その頃私は、地図の上では世界各国足跡の至らざるところとてはない大旅行家であつたが、日々の生活と云へば、どんな類ひの地図にも省略されてゐる底の凡そ小さな山峡の部落で、町へ赴く乗合馬車の切符すらも容易には購ふことも出来ないやうな不自由な境涯で、まことに「箱のやうな小世界」の住人であつた。
さうして私は、村のあばらやの一室で花やかな長剣を振り翳しながら天国や地獄の夢を※[#「さんずい+艷のへん+盍」、第4水準2−79−55]々と追ひまくつてゐるうちは甲斐々々しかつたが、間もなく私の夢を鵞毛の軽さで吹き飛ばす有様の怖ろしい冬が訪れた。
三方を屏風のやうな丘に囲まれた私達の村は、秋口から初冬へかけての南風が襲ひはじめると、どつとばかりに津波の勢ひで村外れの河口から吹きあげてくる速風《はやて》は周囲の丘に行手をさへぎられて、唸りを挙げて天に沖し、壮烈な風巻《しまき》を巻き起すのが常であつた。おそらく、この竜巻村といふ名称は、この冬の凄まじい風巻のおもむきに起因したに相違ない。村人は冬の近くになると、夫々の家の屋上に一抱えもあらう程の石ころを河原から運んで、屋根を吹き飛ばされぬ為の用意に忙しかつた。河原から村宿へかけての一筋の街道に長蛇の列をつくつて、悲壮気な歌の声をそろへながら村人が総出の立働きの光景を、遥かに窓から見渡してゐると、ピラミツドを造営するエヂプト人の有様などが髣髴された。
本来ならば私も早速この労働に加はるべきであつたが、私
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