。波の音は、無い。
 静かだ。――少数の同人は、皆な安らかに眠つてゐる、鼾をたてる者も無い。
 この次の満月が、十五夜なのかしら。十五夜には、友達を招いて月見の宴を張らうかしら!
 ※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]が、切りに鳴きはじめた。もう、間もなく夜が明けるのかな?
 自分が持つてゐるペンは、さつきから無暗に、あの三角や四角や立方体を書いてゐるうちに、わけもなく、規・矩・準・縄などゝ書いてゐた。円くするブンマハシ、四角にする定木、平坦にする定木、直くする器!
 自分は、気づいて、赧くなつた。
 そして、もう外が薄ら明るくなり、勤勉な牛乳配達の車の音を耳にしながら、机に伏して呟いた。――(……何と思つても、もう俺には行き処もなくなつたか! 山の材木工場? も無い。)
 何となく、十五夜が待たれる。
 さうだ、その時は、母の家へ帰つて、月見をしよう。そして、昔のやうな、父が外国へ行つて留守であつた当時の自分達が、月見をした通りな、一夜を過さう。

          *

 近頃、夜を極めたのは珍らしい。若しかすると、これが源で昼と夜が転じてしまふかも知れない――いや、大丈夫だ、この頃は酒を飲むから。そして、昼寝をした日であつても、夜は、鼾を挙げ、寝言を発し、正体なく好く眠るといふ話だ。



底本:「牧野信一全集第二巻」筑摩書房
   2002(平成14)年3月24日初版第1刷
底本の親本:「日本小説集 第二集」文藝家協会編、新潮社
   1926(大正15)年7月16日発行
初出:「文藝春秋 第三巻第十号」文藝春秋社
   1925(大正14)年10月1日発行
入力:宮元淳一
校正:門田裕志
2010年5月23日作成
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