y――」と云ひかけて彼は、「蔑」を呑み込んだ。
「いゝよ。」と、母は益々煩ささうに享け流した。すると彼は、もつと、これに類する退窟な話を持ち出して母の欠伸を誘つてやりたくなつて、
「あの、マーク・アントニーといふローマの大将ですね、あの人は手に負へない贅沢な放蕩家だつたが、何かの行軍の時にですね、食糧が欠乏してバタバタと兵士が斃れた、ウン、その時、彼は、ですね、俺も腹が滅つたから、これを飲む! と叫んで、道傍の濁つた水を飲み、それも尽きた時には、馬の尿《いばり》を飲んで、そして無事に行軍を終へた。」
「まア、キタナラしい、そんな話は止めておくれよ。」と母は顔を顰めた。「お酒を飲みながら何のことさ――。武士は食はねど――の方がキレイで好い。」
 いつの間にか彼は、「正行の母」のやうに恍惚として、「アントニー」に想ひを馳せ、ひたすら痩躯矮小の身を嘆いた。
「ところで俺には、デビル・フィツシユさへ苦手か!」
「えゝ?」
「いや――その僕は、そんなに小さい時分には食べ物の好き嫌ひが多かつた?」
「生魚は、何にも喰べなかつたよ。だから今もつてそんなに痩せてゐるのさ。痩つぽちに限つて、口先きばかり大きなことを云ひ、心は針目度のやうだと云ふがね。」
 母方の者は、皆な肥つてゐた。
「ハツハツハ――。おい、皆な此方に来ないか。」と、彼は隣室の子供達を呼んだ。酔つて来るのが自分ながらはつきり解るので彼は、不安になり、子供達が居れば母に悪いことを云ふ筈がない、とこれで予防したつもりだつた。周子も二郎も入つて来た。
 それから彼は、どんな風に酔つ払つたか殆ど覚へてゐない。子供達に接して、一途に吻つとして、異様に朗らかになつた。翌日、一同の者の話とうろ[#「うろ」に傍点]覚えを総合して見ると、大体に気嫌の好い、愉快な、当り前の酔漢であつたらしい、殊に子供達から、絶大な賞讚を博されたことでも解る。――彼は、二つばかりうろ覚えのお伽噺をして聞かせた。その種が尽きると、星の話をした。これも少し熱心に追求されると直ぐに困つて、次にはお神楽の真似をした。軍歌や唱歌を吟じた。その辺までは母も、一処になつて気嫌が好かつたのであるが、だんだんに種が尽きると終ひに彼は「烏賊泳ぎ」や「章魚踊り」を演じて子供達を笑ひ過ごさせ、母の顔を曇らせた。「烏賊泳ぎ」は、さうでもなかつたが「章魚踊り」を母は、何か通俗な遊蕩的の余興と思つたらしかつた。その上彼は、
「そんなら今度は、狐に化されるところを演つて見よう。」などと云つて、膳の上を片づけ、それを両手でたてにさゝげ、
「狐に化されると、こんなものがほんとの鏡に見へるんだぜ、いゝかへ……」――「斯うやつて飲んでゐるこの酒が、実は馬の小便でさ。」
 彼は、片手で盃を干し「あゝ、うめえ、うめえ……コリヤ/\ツと。」――「俺が斯んなに女にもてたのは始めてだぞ。まさか夢ぢやアあるまいな。どれ/\、どんな顔をしてみるか一寸鏡を見てやらう。」
 そんなことを云ひながら彼は、気取つた顔をして凝ツと「鏡」を覗き込んだ。
「子供の前で、何です。」
 突然、母が叫んだ。
「いや、諸君。」と、彼は子供達に向つて云つた。「若し誰かゞ狐に化されたならば、だね。そいつの背中か頭を力一杯殴つてやると気がつくさうだよ、――斯《か》う。」と云つて彼は、ポカリと自分の頭を殴り、急に夢から醒めてキヨロ/\とあたりを見廻す動作を巧みに演じた。
「冗談にも程がある、第一縁儀が悪いよ、塗物に顔を写すと気狂ひになるツ!」
 母は、ぶつ/\云ひながら彼の手からお膳を取りあげてしまつたさうである。それから彼は、この失敗を取り返して更に子供達を悦ばせる為に、クロール泳ぎの型や呼吸の仕方を説明したり、兵隊の真似をしたりして、到々過激な運動の結果ゲロを吐いて椽側にのめつてしまひ――「ウー、苦しい、ウー、苦しい、死にさうだよう!」と、腸を絞つて息も絶へ/\に唸つた。
「ゲロを吐く位ひならお酒なんて飲むな、この腰抜け奴!」――「まア、何といふだらしのない格構だらう、あきれたお調子者だ。」
 母は、そんなことを云つたが、もう何と罵られようが何のうけ答へもなく、たゞスースーと云つてゐるばかりな浅猿しい悴の姿を、悲し気に視守るより他はなかつた。
 それから一同の者が、彼の手足をとつて軽々と寝床に担ぎ込んだのである。

[#5字下げ]八[#「八」は中見出し]

「あゝ、海が恋しい、海が恋しい。」
 彼は、毎日のやうにこんなことを呟きながら東京郊外の陋屋で碌々とその日その日を送つてゐた。医家に厳禁されたこと位ひは生来不摂生な彼であつたから別段に意ともしないのであるが、酒も今では殆んど飲めなくなつてゐた。――春、原田の家を逃げ出し、どうしても未だヲダハラの母の家へ帰る決心はつかずに、来《く》る二日前までは名前も知らなかつた此の郊外に偶然引き移つてから、もう夏になつてしまつた。――下谷から移る時にはあんなに好く働いた賢太郎も、高輪を引きあげる時には、奥でハーモニカを吹奏してゐるばかりなので彼が独りで荷拵へをしなければならなかつた。彼は、彼の所謂、何らかの「人間的な刺激」幼稚な俗臭を欲する幼稚な男であつたから、寧ろ同所に引き止まることを主張したのであるが(如何《どう》して引き上げなければならなかつたかの経緯は省略するが。)返つて周子が己の家を嫌ひ始めたことも、幾つかのうちの一つの理由であつた。
 この頃の彼は、蝉の空殻のやうであつた。酒も飲めず吾家の晩酌は倦々もした。街に出掛ける元気もなく、ヲダハラを想つても、原田のことを想つても、瞬間だけで悉く嘘のやうに消えてしまつた。たゞ、この一年半ばかりの間の……と、云ふ程のこともないのであるが、己れの痴態が、時々呆然と眺める眼の前の木々の間や、直ぐその先きには海でもありさうな白昼の白い路に、ヒヨロ/\と写るばかりであつた。昔、或る国に不思議な刑罰があつた、天井も床も四方の壁も凡て凸凹な鏡で張り詰めた小さな正立方体の部屋が重刑者を投ずる牢で、其処には昼夜の別なく怖ろしく明るい一つの灯火が点じてあつた。凸凹な鏡に歪んだ己れの姿が、鏡は鏡を反映して無数に映る。この牢に投ぜられたものは大概三日目には白痴になつてしまふのである――そんな即席のお伽噺を彼は、いつか子供に聞かせて、その先はまた出たら目に、こゝに投ぜられた一人の青年が如何してこの牢を破つたか? などといふことを、「破る」あたりから厭々ながら冒険小説風に話したりしたこともあつたが、その空想の牢獄を更に細かく構想したりすることもあつた。
 或る日彼は、あの昔の錆びて使用に堪へないピストルを懐ろにして「呑気な自殺者の気分」を味ふ為めに、秘かに林間を逍遥したが、毛程もそんな気分は味はへずに、テレて勝手に赧い顔をして直ぐに引き返した。――またアメリカのFに出す手紙の文案を二日も三日も考へて、断念したり、静岡のお蝶を訪れて大遊蕩を試みようなどと思ひ、秘かにその資金の画策を回らせたり、アメリカ行の夢に耽つたり、時には小説家を装つて、家人を退け、近所に間借りを求めて、物々しく机の前に端坐して、顔を顰めたり、した。
 前の森では、夜になると梟がポーポーと鳴いた。あまり英一が騒がしく暴れると、彼は、ありふれた親父らしく眼をむいて、
「ゴロスケにやつてしまふぞ。」などと、さう云つても一向平気な英一を悸したりした。彼の故郷では梟のことを俗にゴロスケと称び、魔法使ひの異名に用ひた。幼時彼も往々家人から、さう云つて悸されたが、
「ゴロスケとなら一所に住んでも好いよ。」と、云つて祖父を口惜しがらせた。
「ゴロスケつて何さ、田舎言葉は止めて下さいよう。」などと、周子は云つた。彼女は、もうそろそろとほとぼりが醒めて自家との往復を始めてゐた。時々賢太郎も、草花などを持つて訪れて来た。賢太郎は、相変らず吾家でごろ/\してゐるらしいが、外出の時は私立大学の制服などを着てゐた。
 また、或る日彼は、郷里の区裁判所からの書留郵便に接して、刑事に踏み込まれでもしたやうに胸を戦かされた。
 土地家屋競売の通知書だつた。彼の「海岸の家」は、高輪の原田の家の代りに抵当になつてゐて、高輪が残り、これが失はれたのである。
「俺の親父が斯んなことをする筈がない、チヨツ、チヨツ、……あゝ、もう海の傍にも住むことは出来ないのか。」
「何さ、自分の方で訴へて置いて……」
 周子は、洒々としてゐた。彼は、憤る張り合もなかつた。――間もなく、伝来の屋敷あとの土地や、少しばかり残つてゐた蜜柑山の競売通知書も配達された。
「あゝ、これは親父の土産か!」
 彼は、さう云つて苦笑を洩した。「ハヽヽヽ、面白くない話だなア。」
「うちのお父さんに頼みなさいよ、何とかなるわよ。」
「何とかすることは巧いだらうよ――ぢや、頼まうかね。」と、彼は、弱々しく呟いだ。
 母からも手紙が来た。彼女は、未だそんなことは知らないらしかつた。そして、彼の著述の催促などをして寄した。秋になつたら、御身の新居を訪れ傍々、芝居見物の為に上京したいからその節はよろしく案内を頼む――そんな文面もあつた。
「秋になつたら――か!」と、彼は繰り返して、母の来遊の日を変に楽しく待ち遠しがつたりした。
 また、当方を顧慮することなく、ひたすら勉学にいそしみ余暇あらば風流に心を向け給はれかし、とか、御身の為に蔭膳を供へ始めたり、尚また震後頓に涌水鈍りたる旧井戸を埋め、吉日を選び、新たにこの借地の泉水の傍に掘抜き井戸を造るべく井戸清に命じたれば、御身帰郷の節には前もつて通知あらば、新しき水に冷菓冷酒を貯へ置くべし――などと報じてあつた。[#地から1字上げ](十四・八)



底本:「牧野信一全集第二巻」筑摩書房
   2002(平成14)年3月24日初版第1刷
底本の親本:「中央公論 第四十巻第十号(秋季大附録号)」中央公論社
   1925(大正14)年9月1日発行
初出:「中央公論 第四十巻第十号(秋季大附録号)」中央公論社
   1925(大正14)年9月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:宮元淳一
校正:門田裕志
2010年5月23日作成
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