私は、あの娘の父を見たことがない。一度そのことを私は母にたづねたことがあるが、たしか母は言葉をにごしてはつきりした返答をしなかつたので、そのまゝにした。
*
庭には、赤毛布をしいた床几が出てゐた。
母が、ありがたさうな手つきで娘の祖父から盃をいたゞいてゐた。――庭の床几には誰も掛けてはゐなかつた。
狂人をいれたことのある座敷牢といふものがある家だ――といふことを私は、祖母だつたか母だつたかから聞いたことがあるが、私は遂々《とう/\》それは見そこなつた。
「もう少したつと、きつとお爺さんはあたしを呼びによこすよ。」
「叱られるの?」
「叱られたことなんて、あたし一遍もないわよ――舞ひをやらされるのよ。」
「舞ひツて? をどりかい?」
「つまらアあない、――をどりみたいなものだけれど。」
「厭だらう?」
「厭さ、もちろん!」
「ぢや、やらなければ好いのに。」
「厭には厭だけれど――そんなに嫌ひでもないんだ。」
「…………」
「面白くはないけれど、あれは私の心を静かにさせる――。あたしがね、つまらない……といふことは嫌ひとは違ふのよ。」
「…………」
「あたし、つまらないことが好きなの、あんたには解らないだらう。」
「解らない。」
「何か、思ひツきりつまらないことはないかしら? そんなことをあたしは考へてゐることもあるのよ、さうして終ひには焦れつたくなつてしまふのさ。」
「何だか、ちつとも解らないな!」
「お客ツて、あたし嫌ひさ。煩さくつて!」
「こんな田舎は、寂しくはないの?」
「寂しいよ。」
「学校にもどこにも行かないの――」
「うん――。行かないの――」
「なぜ?」
「なぜだか……」
「行きたくはないの?」
「だつて知らないもの――」
「近所にも友達はないの?」
「ないわ。」
「なぜ?」
「なぜつてわけはないぢやないのさ! あんたは馬鹿ね……チヨッ! あゝ、もう煩い/\/\。」
突然、娘は、眼を閉ぢて激しく首を振つた。――「……さうだ。もうブランコに乗る時間だ。」
さよなら――といふ風に彼女は、きつぱりと立ちあがつた。話が前後してしまつた。ブランコの騒動はこの後に続くべきはずだつた。
*
私たちは、大抵その家に一晩泊るのが例だつた。
その晩は、私はどんな風に送つたかまるで覚えがない。娘と仲直りをしたかど
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