る人はないかね。」
そんなことを、殊のほか無気になつて話し合ふことすらあつた。
藤村は、実家を追はれて(勿論、型通りに古風な放埒と古風な親の譴責から――)、これもまた殆ど同じ状態で、この町に追はれてゐる私の寓居に二ヶ月ばかり前から滞留してゐるのであつた。私のは、藤村のそれと比べて、一オクタルヴ位の差違はあつたかも知らないが、破境となれば先程の藤村の無稽な比喩が正しくあたつてゐる単純な音響のやうなものである。父親と衝突して斯んな処に逃れ、父親の怖ろしい顔に悸《ふる》へながら、愚劣な日を送つてゐる青年の心の悲しみなどに、何処に同情などを寄せる人が有るべくもない。だから二人は、薄気味悪い程の親しさに打ち溶けてゐるのだ。幸ひにも私が斯んな逃げ場所を持ち、そして母の情をつないでゐたから、斯うしてゐられたものゝ、若しそれがなかつたならば私達は、トンネル工事の手伝ひか、漁夫の弟子にでもなるより他はなかつたらう。
「僕は、漁師の手下にならなれる自信があるが、君はどうだ。」
藤村は、そんなことも云つた。
「僕は、出船の合図に、法螺を吹く掛りがあるね、あれにならなれる自信があるんだ。ラッパの素養があるから。」と、私は答へた。
「あれは何処で売つてゐるだらう?」
「あいつを練習するのも一寸興味があるな。」
「あれが、うまく吹ければ行者にだつてなれるだらうね。」
「欲しいなア!」
「江の島では、たしか売つてゐたと思ふが。」
私達は、そんな話に花を咲かせたりした。
雨程、思想のない、そして何の落つきも持たない私達を困らせたものはなかつた。雨にならないうちは、気持の鬱屈には何の変りもなかつたが私達は、カラ元気を振りしぼつて、毎日海辺へ降りて、痩ツぽち同志の角力を取つたり、駆け競べをしたり、逆立ちの練習をしたり、時には、自転車の遠乗りを行《おこな》つたり、などして夕暮脚を引きずツて帰ると、まつたく落第書生のヤケ酒のかたちで、好きでもない酒などを飲み、そして時代おくれの学生となつて粗野な酩酊に陥り、毎晩同じな歌を高唱したり、出鱈目な踊りを踊つてゲロを吐いたり、突然あらん限りの声を張りあげて体操の号令を叫んだり、して死んだやうに眠つてしまふのであつた。そして朝は、寝坊の競争をして、午近くになつて花々しく起床して、跣足で海辺に駆け出すのであつた。
家は、海辺の石垣のそばにあつた。私達は、砂
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