妻のことを余融あり気に冷たく母などに向ひ、また自分に向つて吹聴するものゝ、はぢめのことなどを考へて見れば、自分のみが決して空々しく受身なものではなかつた。それなのに自分には、はぢめから或る不誠実性があつた、自分が最も憎む! 男の不誠実性が――。自分達は、夫々の両親に失望させて、野合的な結婚をしたのに!
 そんな想ひにつまらなく辟易して白々しくなると自分は、自分の怯惰を幼年期からの変則な家庭の罪にした。型だけは厳めしいが、おそらくヒステリー的であつたらう母方の若くして後家になつた祖母と、そして母とから、自分は何かを歪められたのだ。その間で自分は、父方の無智に呑気な祖父母から甘い惰眠を授けられたのだ。そして私には、見たことのない父が遠い国に居るといふことを忘れられなかつた――。結局私は、父方の朗らかに放縦な血を何かに奪はれ、母方の根強い自尊心と謹直な保守性を何かに盗まれて――私は、斯んなに痩せてしまつたのだ。私みたいな姿の者は良家の誰にもなかつた。私の面だちは、両家の誰の面影をも伝へてゐなかつた……自分は、何処までも弱々しくそんな想ひが伸びて行くのに、踏み止まる力を失ひ、煙の中に吸はれ込んで自分の姿も掻き消えてしまひさうだつた。
「…………」
 自分は、たゞ母に同意してゐるやうな態度を保つて、妻に関する批難を予期してゐると、母は、ふと、慎ましやかに気色を変へて「その方が好いよ、でないと周子も私と同じ目に遇ふかも知れない。」と云つた。
「目に? ……」
「当人が一処について行くと云ふんなら結構ぢやないか。」
「……え!」
「英吉はあづかるよ、一年位わけもないことだ……」と母は、はじめての孫のことを云つた。
 母にとつても未だ吾々が傍にゐない方が好いのかも知れない――さう思ふと私は、母に一層安心も覚えたが、ふと私は、そつと唇を噛むほどな異様に意地悪るな爪と何も知らない退屈の手に襟がみをとられて、新しい夢から、悪く住み慣れてゐるもとの自分の世界に無惨に引きづり返された。

[#5字下げ]その二[#「その二」は中見出し]

「月夜になると――」と祖母は説明した。たしか、この次の月が十五夜にあたるはずだが、それまでには未だ七夜も過さなければなるまい? と祖母は暦を繰りながら、
「月夜にならなければ!」と、横柄に唇を突らせて更に呟いだ。
 月のない或る初秋の晩に祖母と私は、柿の渋に
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