だ。」と、龍二は云つて「あしたあたり、験しに入つて見ようや。」など呟いた。
「ぢや妾達も海辺へ行つて見ませう、ね、テルコさん。」
 照子は、点頭いて、
「妾達も入つて見ませうよ。波打ちぎはのところで、脚だけ――」と、云つた。
 夏になつたら、皆なで一緒に毎日海水浴へ行かうなどといふことを話し合ひながら、私達は家へ帰つた。――その晩、私は『水泳術』の本を読みながら寝た。

 翌朝、私が起きた時は、もうFの姿は見えなかつた。さつきFが、私を起しに来たのを、私は知つてゐたが、知らん振りをしてゐた。無邪気に眠つてゐる風を装うてゐたのだ。私は、前の晩Fに、自分も龍二達と同じやうに、冷い海で泳ぐと云つたりしたのである。
「龍二や山村は、達者に泳ぐことはたしかだが、漁師の泳ぎであるから見苦しい。」
 私は、そんなことを云つて暗に自分は目覚しい水泳の選手であるといふことを仄めかしたのである。――そして終ひには、彼等の泳ぎ方は馬のやうだなどと露骨に罵倒した。Fは、私の云ふことを信じて、
「ぢや、サドルのある馬には乗れないといふ種類なんだね。」と、冷笑した。
「Fは、アレゴリイが巧みだね。その通りその通り、――その代り、F達が泳ぐ時のライフ・ボオトには持つて来いの代物さ、ハッハッハ……」
 私は、テエブルの上に立ちあがつて飛び込みの型を示したり、眼鏡を懸けて海の底へもぐつた時の印象を話したりした。また、クロオルを行ふ時の、首の振り具合、腕の抜き具合、呼吸の仕方等を説明した。打ち寄せる大波の底を目がけて砲弾のやうに飛び込み、波向ふに進む時は、大海原を征服したやうな誇りを感ずる、などと云つてFに舌を巻かせた。
「今日の運動場では、お前は活躍しなかつたが、ぢや海辺へ行けば素晴しいヴィクタアなわけだね。」
「階段の飛び降りとか、機械体操のトンボ返りぐらひなら子供の時分は巧かつたが、あんな単調な運動には愛想が尽きてゐるのさ。」
「あした、お前も泳いで見る!」
「その年、誰が一等先に海に入つたかといふことは中学生時分には誇りになつたものだ。新年の第一の朝などは、旭の昇るのを待ち兼ねて泳いだことだ。」
「夏になつたら、いろいろ泳ぎの方法をお前から教はることが出来るね。」
 朝になると、私は胸騒ぎがして不断なら容易に眼が醒めないにも拘はらず、試験の朝が思はれるやうに眼が醒めた。Fが、枕元に立つて切りに
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